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【クリスマスは孔雀の聖歌で〜W.B.イェイツ「孔雀」】A poetry chant for Christmas Eve. “The Peacock” by W. B. Yeats

  本日はクリスマスイブ。七面鳥がふさわしいところだが、父親の県展入選の写真を使わせてもらうことにして、孔雀でお許しください。真っ白の羽の孔雀だが、動画制作中、彩色の誘惑に駆られ、ヴィジュアルに傾いてしまった。まあ、クリスマスでもあるし、美を意識してのこととご勘弁ください。 戦後80年も、残すところ一週間。戦闘機の代わりに「熊」が襲来する一年だった。来年こそ、まともな年になりますように。。。    動画の詩「孔雀」は、W .B.イエーツ、中期の詩集「レスポンシビリティーズ」所収。世俗的な富より美こそ、と謳う。グレゴリオ聖歌などとても歌えないが、たまには美しいものを、と原文の美麗さに乗って口ずさんだもの。お気に召していただければ幸い。  Today is Christmas Eve.  A turkey would be more appropriate, perhaps, but instead I have borrowed a photograph by my father—one that was once selected for a prefectural exhibition—and ask your forgiveness for presenting a peacock instead. This peacock, with its pure white feathers, was meant to remain unadorned. Yet during the process of making the video, I found myself tempted by color, and the work gradually leaned toward the visual. Since it is Christmas, I hope you will allow this indulgence as an offering to beauty.  Eighty years since the end of the war, with only one week left in the year. It has been a year in which “bears,” rather than fighter jets, came ru...

(詩)生まれる前から知っていた


生まれる前から知っていた
この沼に来ることを
その証拠に
ウシガエルとニイニイゼミの
美事な二重唱で迎えられたから

確かに別の選択肢はあった
いつものように
農協の前の幅広い車道を
我が物顔で突っ切ることも出来た

今朝はそれを避けた
代わりに
いつもとは逆のルートを択(と)った
それは稀なことである

無意識が私の足をそちらへ向かわせた
私はそれに逆らうのを怖れた
逆らうと、とんでもないことが起きそうな気がしたのだ
幸い雨も上がっていた
極東の島国は選挙と梅雨で鬱陶しかったが
私の田舎は静かなものである
農協の先は国道で
早朝とはいえ車が多い
人も少ないが歩いている
(私は挨拶が苦手なのだ)
それで今朝は珍しく沼へ向かった

不思議である
逆ルートをたどるだけで風景が違って見えた
普通は「裏」なのが
今日は「表」に見える
当たり前が新鮮だった
私は無意識に感謝した
人はこうして常に自己を更新すべきと思った
それを怠ると錆びてしまう
私は選挙人になどなりたくない
二次元の駄弁に生を浪費したくもない
「いのちこそ宝」などとよく耳にするが
いつしかそれも
「1192(いい国)作ろう」と肩を並べる
無意味な標語になっている
むごたらしいニュースに明け暮れる毎日が
それを人ごととしてスワイプする列車が
その証拠
極東の島国は
実に平和で惨忍な浄土なのだ

歩道橋を久々に渡った
新しくなった階段は濡れて滑りそうだったが
私は用心して歩いた
(それも台本通りの足取りだ)
無事に渡り終え
左手に大きなパチンコ屋を見やりつつ
緩い降り坂を傘を杖代わりに進む

ボウボウボウ 
ジイジイジイ

右手のガード越しに響いてきた
「オアシス運動」の看板に膝を押し付け
沼を覗き込む
円い浮き葉が数十枚ずつ塊をなし
黒い水面にこれまた無数の組に固まり
浮いていた
一つの小円が大円を組み
その大円が更に合わさり
巨大な模様を造形している
低い唸りと金属的な軋りが
その宇宙(フラクタル)に交響する

私は目眩を覚えた
そうなのだ
これに出会うために
私は来たのだ
いつもは歩道橋の向こう岸を帰路にとるところを
敢えて渡って来たのは
このためだったのだ

私は孤りであると同時に
全体なのだ
無意識はそれを知っていて
錆びて盲目になりかけていた私を
薄さ2ミリの井戸端会議に
いささか眼痛を来していた私を
晴眼に戻すため
導いてくれたのだ
そう言えば
「いいね」欲しさに
愚にもつかぬ呟きを続けながらも
虚しさは拭えなかった
寂しさは深まるばかりだった
私は星の数ほどの情報を
分かった風に閲覧しながらも
大事なことは何ひとつ見てはいなかった
星の数ほどの声に接しているようで
何ら温もりも覚えてなかった
それが欲しさに悪足掻きしていたようなものだ
まさに泥沼!

しかし
目の前の沼は
正真正銘の沼だった
仮装でもフェイクでもない
すっぴんの沼だった
そこに
カエルとセミが大合唱していた
加工された声ではなかった
編集された曲でもない
作られたモノに慣れ過ぎている我々は
時に自然を「写真みたい!」などと驚くが
それほど滑稽なことはない
「贋」が「真」になり
「真」が「贋」に反転してしまっている
我々も気をつけねば
同じになってしまう
「贋の我」が「真の我」になる
いや
もうなっているのではないか

今朝は無意識がそれを警告してくれた
私を初期化させようと
ここに導いてくれた
私はしばらく立ち尽くし
自然な合唱のシャワーに身を預けた
それを実に美しい響だった
飾りのない
嘘のない
清新な
共鳴(レゾナンス)だった

ああ
我々はなんと瑣事に
自ら足を取られていることだろう
なんと毎日
何かに怯え
何かを欲していることだろう
薄さ2ミリの玩具など放って
自然体で周りを見渡せば
こしらえモノなどではないものが
確(しか)と在るではないか
それが
沼であり
鳴声であり
宇宙であり
我である

生まれる前から知っていた


【詩】→「お人好し」
   →「ぴんぴん小僧IKUーNOーSUKE」
   →「空襲前夜」









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