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祝🐍巳年 切り絵動画 ヤマタノオロチ  Happy New Year of Snake Recitation Film"Kojiki (Ancient Japanese Legends),Yamatano-orochi-The Eight-Headed Serpent"" 

  昨年末、突然、腰痛に見舞われた。慣れぬ庭作業で歩行困難に。起床時などは着替えさえ出来なかった。それが始まったのが、ちょうどこの朗読動画に着手した頃である。 「蛇(オロチ)が降りてきた!」  これは退治せねば、と、三週間の格闘と度重なる「書き出し失敗」の末、完成したのが正月二日だった。お陰で、現在はなんとか歩けるまでに痛みは緩和している。悠久の魂魄が息づく神話と対峙するのは容易でない。恐るべし「言霊」である。 At the end of last year, I was suddenly struck by lower back pain. Unfamiliar garden work left me unable to walk. At times, like when getting up in the morning, I couldn’t even get dressed. This all began right around the time I started working on this reading video. “The serpent (Orochi) has descended!” I thought, I must vanquish it. After three weeks of struggle and countless "export failures," I finally completed it on January 2nd. Thanks to that, the pain has now eased to the point where I can walk somehow. Facing myths where eternal spirits reside is no easy task. The power of "kotodama" (the spirit of words) is truly fearsome. 太鼓朗読 古事記「八俣の大蛇」 Taiko Recitation: Kojiki "Yamata no Orochi–The 8-Headed Serpent" JPN Read/ENG Subs

(詩)生まれる前から知っていた


生まれる前から知っていた
この沼に来ることを
その証拠に
ウシガエルとニイニイゼミの
美事な二重唱で迎えられたから

確かに別の選択肢はあった
いつものように
農協の前の幅広い車道を
我が物顔で突っ切ることも出来た

今朝はそれを避けた
代わりに
いつもとは逆のルートを択(と)った
それは稀なことである

無意識が私の足をそちらへ向かわせた
私はそれに逆らうのを怖れた
逆らうと、とんでもないことが起きそうな気がしたのだ
幸い雨も上がっていた
極東の島国は選挙と梅雨で鬱陶しかったが
私の田舎は静かなものである
農協の先は国道で
早朝とはいえ車が多い
人も少ないが歩いている
(私は挨拶が苦手なのだ)
それで今朝は珍しく沼へ向かった

不思議である
逆ルートをたどるだけで風景が違って見えた
普通は「裏」なのが
今日は「表」に見える
当たり前が新鮮だった
私は無意識に感謝した
人はこうして常に自己を更新すべきと思った
それを怠ると錆びてしまう
私は選挙人になどなりたくない
二次元の駄弁に生を浪費したくもない
「いのちこそ宝」などとよく耳にするが
いつしかそれも
「1192(いい国)作ろう」と肩を並べる
無意味な標語になっている
むごたらしいニュースに明け暮れる毎日が
それを人ごととしてスワイプする列車が
その証拠
極東の島国は
実に平和で惨忍な浄土なのだ

歩道橋を久々に渡った
新しくなった階段は濡れて滑りそうだったが
私は用心して歩いた
(それも台本通りの足取りだ)
無事に渡り終え
左手に大きなパチンコ屋を見やりつつ
緩い降り坂を傘を杖代わりに進む

ボウボウボウ 
ジイジイジイ

右手のガード越しに響いてきた
「オアシス運動」の看板に膝を押し付け
沼を覗き込む
円い浮き葉が数十枚ずつ塊をなし
黒い水面にこれまた無数の組に固まり
浮いていた
一つの小円が大円を組み
その大円が更に合わさり
巨大な模様を造形している
低い唸りと金属的な軋りが
その宇宙(フラクタル)に交響する

私は目眩を覚えた
そうなのだ
これに出会うために
私は来たのだ
いつもは歩道橋の向こう岸を帰路にとるところを
敢えて渡って来たのは
このためだったのだ

私は孤りであると同時に
全体なのだ
無意識はそれを知っていて
錆びて盲目になりかけていた私を
薄さ2ミリの井戸端会議に
いささか眼痛を来していた私を
晴眼に戻すため
導いてくれたのだ
そう言えば
「いいね」欲しさに
愚にもつかぬ呟きを続けながらも
虚しさは拭えなかった
寂しさは深まるばかりだった
私は星の数ほどの情報を
分かった風に閲覧しながらも
大事なことは何ひとつ見てはいなかった
星の数ほどの声に接しているようで
何ら温もりも覚えてなかった
それが欲しさに悪足掻きしていたようなものだ
まさに泥沼!

しかし
目の前の沼は
正真正銘の沼だった
仮装でもフェイクでもない
すっぴんの沼だった
そこに
カエルとセミが大合唱していた
加工された声ではなかった
編集された曲でもない
作られたモノに慣れ過ぎている我々は
時に自然を「写真みたい!」などと驚くが
それほど滑稽なことはない
「贋」が「真」になり
「真」が「贋」に反転してしまっている
我々も気をつけねば
同じになってしまう
「贋の我」が「真の我」になる
いや
もうなっているのではないか

今朝は無意識がそれを警告してくれた
私を初期化させようと
ここに導いてくれた
私はしばらく立ち尽くし
自然な合唱のシャワーに身を預けた
それを実に美しい響だった
飾りのない
嘘のない
清新な
共鳴(レゾナンス)だった

ああ
我々はなんと瑣事に
自ら足を取られていることだろう
なんと毎日
何かに怯え
何かを欲していることだろう
薄さ2ミリの玩具など放って
自然体で周りを見渡せば
こしらえモノなどではないものが
確(しか)と在るではないか
それが
沼であり
鳴声であり
宇宙であり
我である

生まれる前から知っていた


【詩】→「お人好し」
   →「ぴんぴん小僧IKUーNOーSUKE」
   →「空襲前夜」









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