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注目

【12月8日に寄せて その2】中原中也「サーカス」(昭和九年) ー茶色い戦争ありました。。。 [On December 8th—Pearl Harbor Day] Nakahara Chūya’s Circus (1934): “There Was a Brown War…”

  「ゆあーん、ゆよーん」  天才詩人の残した不朽のオノマトペである。しかし、その何とも童話チックな響きとは裏腹に、その詩「サーカス」は、「戦争」というものの本質−−冷酷さ、嘘くささ、滑稽さ等々−−が、小学生でも分かる言葉で綴られている。「サーカス」は、それに踊らされている大衆なのか、当局なのか。。。この詩を収めた詩集『山羊の歌』は昭和九年が発刊年。青空文庫によると、12月10日というから、ほぼ91年前の冬だ。今の世界はどうなのか。暗い気持ちと向き合いつつ動画を作った。 “Yuaaan, yuyooon.” This is the immortal onomatopoeia left to us by a genius poet. For all its fairy-tale charm, the poem Circus in which it appears speaks of the essence of war—its cold cruelty, its falseness, its absurdity—in words that even a child could understand. Is Circus about the masses being made to dance, or about the authorities who pull the strings…? The collection that contains this poem, Goat Songs, was published in 1934. According to Aozora Bunko, the date was December 10th—so it was the winter almost ninety-one years ago. And what about the world now? I made this video while facing that darkness within myself.

(詩)盆の仏





フードコートに
仏がいた
四人掛けテーブルの仕切り側
向かいに孫らしき男の子が
ポケットゲームに夢中
その隣りが空席で
重いリュックを下ろしながら腰掛けると
肥満気味の七十仏が
背凭れに踏ん反り返ったまま
片手で蝿でも払うように
「にいさん、そこ、おる。おる」と
私をしきりに扇ぐ
「にいさん。そこ、おる、おる」ーー
さすがに「退け!」とは言わぬが
迷惑げに振る手がそう命じていて
優しい私は睨み返しつつ立ち上がり
合掌した

折りしも時刻はランチ・タイム
なかなか席が見つからない
窓際のカウンターを探すが
若い母親が隣におねんね中の赤子
その隣にブランケットやぬいぐるみ
食事するのは彼女だけというのに
三人分の椅子を占有
女仏に合掌しつつ奥へ進むと
またもゲーム男児の横が空席
ほっとひと息つきつつ座ると
いきなり彼がゲームから頭を起こすと
鄭重な口調で先客の存在を告げる
さっきの老仏より余程礼儀を弁えていたが

それにしても
公共のスペースで席の確保を訴えるのは
どうにも腑に落ちない
その隣りに黙して座していた
父親か祖父らしきに
聞こえよがしの嫌味を吐きつつ
二人に合掌を返す
悔しさに「南無」なのだ

おう
ラーメン、丼、バーガー、ドーナツ・スタンドに
温和しく立ち並ぶ盆休みの仏らよ
そのお慈悲を内輪にだけとどめるというのは
貴殿らが軽侮する政治家先生同様
偽善ではあるまいか

もっとも
重い荷を背負い席を探す哀れな部外者も
貴殿らと同様の仏なのだと
認めようとなさらぬなら別だが……

【詩】→「No Hell Show」
   →「洗濯おばさん」

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