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世代間ギャップうるさきアブラゼミ |
昨日は7月の福ポエ。またも調子に乗ってタブレット朗読「dis」。やっつけ仕事って感じで、噛み噛みだったが、ブルーツゥースのイヤホンに助けられ、なんとか完読。司会者、参加者も笑ってくれた。(「笑ってください」と動画に出てくる、自虐ネタ!)数年ぶりに再会した詩友にも受けたようで、ちゃっかり名刺代わりのハガキを手渡す。「ひとりぼっちの朗読会」と印刷したやつ。
【動画】→
「dis」
全員の感想を書きたいところだが、いい加減なことも書けないし、紙面も体力もそれを許さぬ。印象に残ったものを。
おじさん。三線の。夏野雨女史にいただいたフリーペーパーから「石松佳」「夏野雨」の両作品を読まれた。
目の前を
初夏のオートバイが走り去っていゆくーー
(「イルカ」石松佳、より)
「青春を感じさせる、懐かさ」ーと評していた。
一方、夏野雨「元号メモリー」
新しい予言が始まって、みんなが二文字のことを占ってるーー
三線おじさんは、「難しい」と首をひねる。夏野詩の言葉のチョイスが不可解、と。
おじさんはそう言いつつ、我が書斎には100冊以上の詩集がある。書店でも開けるくらいで、自作も在庫があると紹介されていた。う〜ん、友達になりたい。。。
おじさんは六十代も後半と言われていた。とすると、世代的には田村隆一や吉本隆明だろうか。政治の季節の詩人である。戦争体験もある。腰が据わっている。体制に批判的。野太い。
そんな世代が、80年以降生まれの詩人を読む。戦争体験などない。物心ついた時にはデジタル・デバイスが身の回りに溢れている。が、世の中はバブルが崩壊し、金持ちになるだの、有名になるだの、そんな「昭和的夢」など北京原人の遠さであり、興味は常に半径2メートル、いや、掌に明滅する「お気に入り」に絞られていて、異種異物にはノータッチ。己れにしか理解不能なワンダーランドの構築に徹するーーな〜んて、吾輩だってそうだから批判的なことは言えぬが、「政治」はもはや語らない、というより、半径2メートル外に関心など湧かぬ平成詩人を、ちゃんと公の場で朗誦するのだから、おじさんは偉い!
小生はしかしながら、憧れを抱いているのだ。「けっ。なにが、タブレット朗読だ。詩集一冊出せないじゃないか!」では、「詩人」を称する以上、忸怩たる思い拭えぬ。それが、どんなに冒頭に「朗読(詩人)」などとシャレこけて付していようとも、だ。その辺、まだ吹っ切れてない弱さが歯痒い。詩友とも話したのだが、いっそ、朗読動画を極めるしかないのか、と思ったりする。大変だけどもね。
そうそう。気が付いたのだが、制作中は心身ともにそれに没頭するため、ツイッターなど見ていられなくなる。他人の言動に、いちいち噛み付いている暇が惜しいのだ。それは、ひょっとして幸せなことかも知れない。結局、なんのかの言って、「強引ぐ マイ・ウェイ」こそ、本人にとって最上の生きかたなのだろう。棺に入るのは、決まって独りだからね。
お後が、よろしくないようで・・・
【フォト拝句】→
寂しさや
→
鳴くのなら
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