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【第二次高市内閣発足!】〜オッペケペー、政治の中身は変わるのか??? 【The Second Takaichi Cabinet Takes Office!】 Oppekepe—Will Anything Really Change in Politics?

  昨日・9月17日、第二次高市改造内閣が発表された。そんな折り、明治の政治風刺歌「オッペケペー節」の動画が完成!   「権利幸福きらいな人に、自由湯(とう)をば飲ましたい」ーー  「自由」を薬のように飲ませてしまおう、という痛快な一節である。 さらに、   「うわべの飾りはよいけれど、政治の思想が欠乏だ。」ーー  文明開化で服装や言葉は新しくなっても、中身はどうなのか。その皮肉は、百三十年以上たった今にも妙に響く。政治の顔ぶれが変わり、新しい言葉が並ぶたびに、私たちはまた問う。  さて、中身はどうなのだろう。  今回は、この明治の風刺歌を現代のエレクトロ・ビートに乗せて朗誦した。作詞は、福岡・博多出身の俳優・興行師、川上音二郎(1864–1911)。 エレクトロ朗誦「オッペケペー節」 On September 17, the Second Takaichi Reshuffled Cabinet was announced. And, as it happened, I had just completed a video of the Meiji-era political satire song Oppekepe-bushi . “For those who hate rights and happiness, I’d make them drink a dose of Freedom Tonic.” A wonderfully biting line: give them “freedom” as though it were medicine. And then: “Your outward fashion may be splendid, but your political thought is sadly lacking.” Clothes and language may change with the times, but what about what lies underneath? More than 130 years later, the satire still has a strangely familiar ring. Whenever the faces in politics change and new s...

(フォト拝句)世代ギャップ? 〜福ポエ 07月28日19年 


世代間ギャップうるさきアブラゼミ


 昨日は7月の福ポエ。またも調子に乗ってタブレット朗読「dis」。やっつけ仕事って感じで、噛み噛みだったが、ブルーツゥースのイヤホンに助けられ、なんとか完読。司会者、参加者も笑ってくれた。(「笑ってください」と動画に出てくる、自虐ネタ!)数年ぶりに再会した詩友にも受けたようで、ちゃっかり名刺代わりのハガキを手渡す。「ひとりぼっちの朗読会」と印刷したやつ。

【動画】→「dis」

 全員の感想を書きたいところだが、いい加減なことも書けないし、紙面も体力もそれを許さぬ。印象に残ったものを。

 おじさん。三線の。夏野雨女史にいただいたフリーペーパーから「石松佳」「夏野雨」の両作品を読まれた。
 
 目の前を
 初夏のオートバイが走り去っていゆくーー
 (「イルカ」石松佳、より)

「青春を感じさせる、懐かさ」ーと評していた。
 一方、夏野雨「元号メモリー」

 新しい予言が始まって、みんなが二文字のことを占ってるーー

 三線おじさんは、「難しい」と首をひねる。夏野詩の言葉のチョイスが不可解、と。

 おじさんはそう言いつつ、我が書斎には100冊以上の詩集がある。書店でも開けるくらいで、自作も在庫があると紹介されていた。う〜ん、友達になりたい。。。

 おじさんは六十代も後半と言われていた。とすると、世代的には田村隆一や吉本隆明だろうか。政治の季節の詩人である。戦争体験もある。腰が据わっている。体制に批判的。野太い。
 そんな世代が、80年以降生まれの詩人を読む。戦争体験などない。物心ついた時にはデジタル・デバイスが身の回りに溢れている。が、世の中はバブルが崩壊し、金持ちになるだの、有名になるだの、そんな「昭和的夢」など北京原人の遠さであり、興味は常に半径2メートル、いや、掌に明滅する「お気に入り」に絞られていて、異種異物にはノータッチ。己れにしか理解不能なワンダーランドの構築に徹するーーな〜んて、吾輩だってそうだから批判的なことは言えぬが、「政治」はもはや語らない、というより、半径2メートル外に関心など湧かぬ平成詩人を、ちゃんと公の場で朗誦するのだから、おじさんは偉い! 
 
 小生はしかしながら、憧れを抱いているのだ。「けっ。なにが、タブレット朗読だ。詩集一冊出せないじゃないか!」では、「詩人」を称する以上、忸怩たる思い拭えぬ。それが、どんなに冒頭に「朗読(詩人)」などとシャレこけて付していようとも、だ。その辺、まだ吹っ切れてない弱さが歯痒い。詩友とも話したのだが、いっそ、朗読動画を極めるしかないのか、と思ったりする。大変だけどもね。

 そうそう。気が付いたのだが、制作中は心身ともにそれに没頭するため、ツイッターなど見ていられなくなる。他人の言動に、いちいち噛み付いている暇が惜しいのだ。それは、ひょっとして幸せなことかも知れない。結局、なんのかの言って、「強引ぐ マイ・ウェイ」こそ、本人にとって最上の生きかたなのだろう。棺に入るのは、決まって独りだからね。

 お後が、よろしくないようで・・・


【フォト拝句】→寂しさや
       →鳴くのなら







 


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