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【狂言小唄】『笑いの呪文』(超絶誤訳・音声変換)原作:ヴェリミール・フレーブニコフ

  我が国は西側陣営なので、ロシアの情報はなかなか入ってこない。いや、「敵側」のフィルターがかったものばかり、という印象だ。大昔、成人祝いに『ドストエフスキー全集』を古書で買おうとしたほどのロシア文学ファンである小生は、そこで、ロシア詩でも朗読してみるか、と調べるなかで出会ったのがヴェリミール・フレーブニコフの『笑いの呪文』だった。  しかし、学生時代、せいぜいドイツ語を第二外国語として学んだだけの小生には、ロシア語の音読などハードが高過ぎる。それでもアプリ再生で練習を重ねるうちに、「超絶誤訳・音声変換」で読むことを思い付いた。難しいロシア語発音を日本語に当てて、忠実な翻訳ではない、全く別の詩作を試みることにしたのである。折りしもイラン戦争中で、そんな情勢にも触発を受けることとなった。  狂言風に詠んでみた。(謳ってみた)。もともと「笑いの呪文」だけに、狂言が合っていると思った。動画は映像を添えられるので、言葉と絵のコラボが互いの「語られない部分」を補ってくれる。そのギャップが際立つものが出来たと思う。  As our country belongs to the Western bloc, information from Russia is not easily accessible. Or rather, much of what we receive feels filtered through the lens of an “enemy.” As someone who has long been fond of Russian literature—so much so that I once considered buying a second-hand complete works of Fyodor Dostoevsky as a coming-of-age gift—I found myself wondering if I might try reading Russian poetry aloud. It was in that process that I encountered Velimir Khlebnikov’s "Incantation by Laughter."  However, having studie...

(フォト拝句)世代ギャップ? 〜福ポエ 07月28日19年 


世代間ギャップうるさきアブラゼミ


 昨日は7月の福ポエ。またも調子に乗ってタブレット朗読「dis」。やっつけ仕事って感じで、噛み噛みだったが、ブルーツゥースのイヤホンに助けられ、なんとか完読。司会者、参加者も笑ってくれた。(「笑ってください」と動画に出てくる、自虐ネタ!)数年ぶりに再会した詩友にも受けたようで、ちゃっかり名刺代わりのハガキを手渡す。「ひとりぼっちの朗読会」と印刷したやつ。

【動画】→「dis」

 全員の感想を書きたいところだが、いい加減なことも書けないし、紙面も体力もそれを許さぬ。印象に残ったものを。

 おじさん。三線の。夏野雨女史にいただいたフリーペーパーから「石松佳」「夏野雨」の両作品を読まれた。
 
 目の前を
 初夏のオートバイが走り去っていゆくーー
 (「イルカ」石松佳、より)

「青春を感じさせる、懐かさ」ーと評していた。
 一方、夏野雨「元号メモリー」

 新しい予言が始まって、みんなが二文字のことを占ってるーー

 三線おじさんは、「難しい」と首をひねる。夏野詩の言葉のチョイスが不可解、と。

 おじさんはそう言いつつ、我が書斎には100冊以上の詩集がある。書店でも開けるくらいで、自作も在庫があると紹介されていた。う〜ん、友達になりたい。。。

 おじさんは六十代も後半と言われていた。とすると、世代的には田村隆一や吉本隆明だろうか。政治の季節の詩人である。戦争体験もある。腰が据わっている。体制に批判的。野太い。
 そんな世代が、80年以降生まれの詩人を読む。戦争体験などない。物心ついた時にはデジタル・デバイスが身の回りに溢れている。が、世の中はバブルが崩壊し、金持ちになるだの、有名になるだの、そんな「昭和的夢」など北京原人の遠さであり、興味は常に半径2メートル、いや、掌に明滅する「お気に入り」に絞られていて、異種異物にはノータッチ。己れにしか理解不能なワンダーランドの構築に徹するーーな〜んて、吾輩だってそうだから批判的なことは言えぬが、「政治」はもはや語らない、というより、半径2メートル外に関心など湧かぬ平成詩人を、ちゃんと公の場で朗誦するのだから、おじさんは偉い! 
 
 小生はしかしながら、憧れを抱いているのだ。「けっ。なにが、タブレット朗読だ。詩集一冊出せないじゃないか!」では、「詩人」を称する以上、忸怩たる思い拭えぬ。それが、どんなに冒頭に「朗読(詩人)」などとシャレこけて付していようとも、だ。その辺、まだ吹っ切れてない弱さが歯痒い。詩友とも話したのだが、いっそ、朗読動画を極めるしかないのか、と思ったりする。大変だけどもね。

 そうそう。気が付いたのだが、制作中は心身ともにそれに没頭するため、ツイッターなど見ていられなくなる。他人の言動に、いちいち噛み付いている暇が惜しいのだ。それは、ひょっとして幸せなことかも知れない。結局、なんのかの言って、「強引ぐ マイ・ウェイ」こそ、本人にとって最上の生きかたなのだろう。棺に入るのは、決まって独りだからね。

 お後が、よろしくないようで・・・


【フォト拝句】→寂しさや
       →鳴くのなら







 


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