スキップしてメイン コンテンツに移動

注目

【白秋はロックな詩人〜北原白秋「邪宗門秘曲(ロック)」】

  北原白秋、と聞くと、真っ先に童謡のイメージを抱く。しかも、金子みすゞと並んで教科書に載るような実に優等生的名作ばかりで、荒みきった小生には退屈で仕方ない。だから、長い間ノータッチだったのだが、ふと「邪宗門」という言葉に引っかかるところがあり、「青空文庫」を閲覧してみて仰天した。かくもキレキレの白秋にお目にかかるのは、遅まきながら初めてだったのだ。童謡のイメージが見事に粉砕された瞬間だった。と同時に、ロックビートが耳に蘇ってきて、それで朗誦することにした。詩人の若き時は、なぜこうも尖っているのだろう。歳を取り名声や勲章を手にすると、鋭さはなまってしまうのか。政治にしろ芸術にしろ、「みんなに愛される」のは、結局「誰にも愛されない」ことか。「嫌われ者」が理想?  When I hear the name Kitahara Hakushu, the first thing that comes to mind is children’s songs. And not just any children’s songs, but those impeccably “model-student” masterpieces that seem to belong in school textbooks alongside the poems of Kaneko Misuzu. For a jaded fellow like myself, they were simply too wholesome to be interesting.  So for a long time, I left Kitahara completely untouched. But one day, the word Jashūmon somehow caught my attention. I looked it up on Aozora Bunko—and was astonished.  This was the first time, late though it may have been, that I had encountered such a sharp-edged, dazzlingly intense Hakushū. In that moment, my image...

イメージを刺激する言葉 唐十郎を読む(番外編) 流山児祥氏のことば

「音声ガイド」創作班 戯曲『24時53分(略)』全編(8メートル)

戯曲絵巻は8メートル


写真は私が参加した「音声ガイド」班の台本(戯曲)
『24時53分「塔の下」竹早町の駄菓子屋の前で待っている』を
一枚の絵巻風につなげたもの。
そこには
出演者たちが台本上の言葉からイメージする風景なり記憶なり別の言葉なりを
書き込んでいる。
第一日目のレポートに書いた
「オーボエは覚え(覚醒)?」というのも。
この班では
「さあ、読みましょう」と
ただ戯曲を読み進めるだけでなく
各人がイメージを膨らませ
より台詞を自らに近づけて声を撮っていった。
「肉化」と言ってよかろうか。
なにせ発表当日に我々出演者が舞台に現れるわけではなく
声のみを聴いて(観て?)もらうわけだから
「上手に読む」というだけでは伝わらないーー
そういうコンセプトだった、と思う。
上手なものなら、プロの「声優」を雇えばいいのだ。
当日は視覚障害の人も来場されていた、と聞いた。
講師の五味氏は今後もそうしたかたがたの感想をもとに
この「声による演劇」を進化(深化)させたいと
抱負を語っていた。
私も失明と絶命との競争を負わされているだけに
見(聴き)逃せない。

流山児祥氏の言葉

発表日(8日)の掉尾を飾るシンポジウムで
「唐十郎独白激情」の総合演出を担当された
流山児祥氏の言葉ーー

「唐さんは岸田戯曲賞をもらってから堕落した」

なるほど。
そうしたビッグ・タイトルを受けると
反骨者もいつしか「守り」に入るのかーーなどと
ひとり勝手に納得しながら聴いていた。
懇親会で
たまたま流山児氏の向かいに座ることとなり
その言葉の真意を訊ねてみた。
すると。

「いやいや、堕落というより
書き方が変わったんだ!」

書き方が変わった?
それは既得権益を守るってことですか?、と質すと

「まあ、そういうことだけど
昔の、誰に見てもらうとか、受けるとか気にしない
そういう書き方ではなくなった、ってわけだ」ーー

ボイスレコーダーで撮っているわけではないから
一語一語正確ではないが
そうした趣旨を述べられた。

つまりは
「意識」が始まったということだろう。
賞を取ると、
「〜賞作家」と冠が載る。
インタビューにしろ
来客の胸にも
その「プレミア」(レッテル?)で認知される。
そして
それを基準に
「落ちた」だの「進化した」だの、と言われる。
作り手もそれを意識する。
それゆえ
いつしかデビュー当初の
疾走感・破壊力・破天荒さ等々が矯めされ
妙に無難に洗練されたりする。。。

私は氏に
90年代終わりの花園神社で赤テントを観たことを明かした。
すると氏は
状況劇場から30年、と言われた。
現在はそれから更に20年近く経つ。
それを氏は敢えて唐十郎の初期戯曲を選び
令和元年の九州で
罵詈雑言の台詞を連射・炸裂させた。
役者は皆アクが強く
声はデカく
私もひと頃ハマっていた「静かな演劇」とは
真逆の騒がしさ・泥臭ささ。。。
いやあ、
しかしそれが却って新鮮であり爽快でもあった。
「一皮剥けば、誰も愛すべき愚者」と
熱く覚醒させようとしているような。。。

鍋の向こうの巨匠は
尚も熱烈に次なる仕事を語っておられた。
韓国、東南アジア・・・
アジアの民はアングラを求めているらしい。

御歳72の怪人畏るべし、である。


(追記)
「唐さんはおフランスの人」と
流山児氏はシンポで語っていた。
サルトル、ベケット、ジャン・ジュネ・・・。

「半径2メートル劇」が(全てに亘って?)主流の今日
是非、堪能したいものばかりである。


【関連記事】
「我ら自身が塔なのです。」 〜唐十郎原作『24時53分「塔の下」行竹早町の駄菓子屋の前で待っている』に寄す (戯曲研修セミナー 発表日)





コメント