昨日の続き。
ドミニク、安田両先生が言われていた「共話」
つまり、相槌。
西洋の「対話」でなく
相手の話を引き取って続ける。
決して、
「やっ。でも・・・」と
よくやる否定や
「う、う、ううん」という頷きなどでない
日本独特の掛け合いーー
それがやがて
地謡(ギリシヤ演劇の「コロス=合唱団」的役割)によって
「風景」「自然」として描写され
二人(僧侶と式子内親王)の境界が曖昧となる。
曲中に法華経薬草喩品が唱えられるが
それが非常有情も成仏する、と謳っているように
大宇宙との一体化をも象徴するような作になっている
(ように思う)
宝生流『定家』の詞章(台本、、、のようなもの)から
その「共話」部分が現れる
クライマクスを抜粋する。
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(ワキー旅の僧)
(シテー式子内親王)
中入
ワキ待謡「夕も過ぐる月影に、夕も過ぐる月影に、松風吹て物凄き、
草の陰なる露の身を、念ひの玉の數々に、とぶらふ縁は有難や、とぶらふ縁は有難や。
後シテ 「夢かとよ、闇のうつつの宇津の山、月にも辿る蔦の細道。
シテ上 「昔は松風蘿月に詞を交はし、翠帳紅閨に枕を並べ。
地 謡 「樣々なりし情の末。
シテ 「花も紅葉も散々に。
地 「朝の雲。
シテ 「夕の雨と。
地 「古言も今の身も、夢も現も幻も、共に無常の、世となりて跡も殘らず、
なに中々の草の陰、さらば葎の宿ならで、そとはつれなき定家葛、是見給へや御僧。
ワキ 「荒痛はしの御有樣やあらいたはしや、佛平等説如一味雨 随衆生性所受不同
シテ 「御覽ぜよ身は徒波の立ち居だに、亡き跡までも苦びの、定家葛に身を閉ぢられて、
かかる苦しび隙なき所に、有難や。
シテ 「唯今讀誦給ふは薬草喩品よなふ。
ワキ 「中々なれや此妙典に、洩るる草木のあらざれば、
執心の葛をかけ離れて、佛道ならせ給ふべし
シテ 「荒有難や、げにもげにも、是ぞ妙なる法の教へ
ワキ 「普き露の惠みを受けて
シテ 「二つもなく
ワキ 「三つもなき。
地 「一味の御法の雨の滴り、皆潤ひて草木国土、悉皆成佛の機を得ぬれば、
定家葛もかかる涙も、ほろ/\と解け広ごれば、よろ/\と足弱車の、
火宅を出でたる有難さよ。この報恩にいざさらば、ありし雲井の花の袖、
昔を今に返すなる、其舞姫の小忌衣。
シテ 「面無の舞の
地 「あり樣やな。
シテ 「面無の舞の有樣やな。
地 「面無や面映ゆの、有樣やな
シテ 「本より此身は
地 「月の顏はせも
シテ 「曇りがちに
地 「桂の黛も
シテ 「おちぶるる涙の
地 「露と消えても、つたなや蔦の葉の、葛城の神姿、恥づかしやよしなや、
夜の契りの、夢のうちにと、有つる所に、歸るは葛の葉の、もとのごとく、
這ひ纏はるるや、定家葛、這ひ纏はるるや、定家葛の、
はかなくも、形は埋もれて、失せにけり。
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