「勝たせて」の空騒ぎ氏ね蝉の喚声(こえ)
セミが朝から鳴いていた
梅雨の晴れ間、というより、曇り空だが
あの耳をつんざくザワメキは
暑さをいっそう掻き立てるようで
耐えられぬ
街頭演説然り
なんか投票に行くのも億劫である。。。
さて、とかく五月蝿い世間ですが
短歌の世界は穂村センセーの物腰が象徴するごとく
実に淡々とクールに存続しております
なにせ万葉からの国民文学
このIT時代に
元号の典拠にまでなるくらいですから
巨人軍ならずとも
永久に不滅です
というわけで
現代詩作家・荒川洋治がコケ落としている定型詩を
(コケ落としながら、「口語の時代はさむい」などと言ってる)
(とはいえ、彼のデビュー詩集『水駅』のみ愛している)
前回に引き続き、学んでいきたい
司会 では、ここで互選、お互いにお互いの歌を選んで来て頂いているので、ご紹介頂きます。では、東さんのほうから穂村さんの歌をご紹介下さい。
自転車のサドルを高く上げるのが夏を迎える準備のすべて
東 夏が来る今時の季節になると必ず思い出す歌で、そろそろサドルを高く上げる季節だ、なんて思っちゃんですよね。短歌って短いので、好きな歌を覚えちゃってるんですね。それで、その時々の気分に合わせて色んなものを引き出して楽しむんですけど、すごくかっこいいですよね。夏を迎える準備を自転車のサドルをちょっと上げて、サドル上げると力が強く入って、早く走れるようになるっていう、その夏を楽しむぞっていうか、気分を盛り上げて、エネルギーを自分の中で出して行こうっていう気分を「サドルを上げる」という細かいところだけで表現しているところ、そこに絞った・思い切った着眼点と、全体の文体のリズムの良さですよね。読んでいるうちに自転車で坂を駆け上っているような疾走感があって、この疾走感のある文体というのも、とても新しさを感じたところですね。
司会 これは作者としては。
穂村 人工物と季節の組み合わせというのが意外と自分にはあるのかな、と。先月ご紹介いただいた、
錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月
というのも、音壊れちゃった車のミラーと10月っていう季節を結びつけているんだけど、こちらも「自転車とサドルの夏」だから、普通、自然物は季節で表現していくものだけど、人工の物と自然のものの組み合わせというのが、意識してるわけじゃないんだけど、あったのかなってちょっと思いますね。
東 そうですね。季節の表現の仕方が独特ですよね。体感とかを直接書かなくても、そこに見えてるものだけで視覚的要素だけで五感を刺激してくる歌でもありますよね。
司会 では、穂村さんから東さんの歌をご紹介ください。
好きだった世界をみんな連れて行くあなたのカヌー燃える湖
穂村 心の中の景色だと思うんだけどね。「別れ」っていうことなんだけど、別れてその相手が自分から去るだけじゃなくて、その人が持っていた世界が根こそぎ自分の近くから消えてしまう。そのことがカヌーによって表現されているんだと思う。で、心の中の湖にあなたのカヌーが浮いていて、それが去って行く時、「燃える」っていうのは夕映みたいなイメージだと思う。これから夜、好きな世界が来るんだというその鮮やかさですかね。確かに、誰かと別れる時の悲しみって、こうだなっていう。最後の燃える湖がどこにも悲しいとか、寂しいとか、行かないでとか書いてないんだけど、その全てを合わせた言葉ですよね。
司会 心の中の風景が見えてくるような歌だと思いますが、東さんご自身はこれは。
東 これもなぜ作られたのか、自分も覚えてないんですけど。でも、心の中に風景があって、何か作る時、現実の出来事をスケッチするような形で作る時もあるんですけど、色々考えてるうちに心の深いところにある何らかの景色や風景が見えてきて、心の中の底にあるものをスケッチするような心象風景を言葉で置き換えていくという作業をするときもあって、これはそういう一種ですね。
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