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【ロックな達治!】三好達治「神風隊てふ」/ROCK POEM // “KAMIKAZE CORPS (so-called)” Original: MIYOSHI Tatsuji  

  巷に三好達治の朗読が氾濫しているようだが、老いてますますアウトロー風盛んな小生は、この抒情詩人の戦時詩をロック・バイブに乗せて読んでみた。  当初は詩文表示を貫こうと思っていたが、絵をつけてみたところ現実味が増し、最後は特攻隊員たちの写真(パブリック・ドメイン)で掉尾を飾ることにした。  この若者たちが命を賭して戦ってくれたのだ、と思うと、sexcentricな小生も流石に胸が熱くなる。合掌。 ロック詩「神風隊てふ」三好達治  While the internet seems flooded with readings of Miyoshi Tatsuji, I—an aging rogue whose outlaw streak only grows with the years—decided to recite this lyric poet’s wartime verse over a rock vibe.  At first I meant to keep it text-only on screen, but adding images made it feel more immediate; in the end I chose to close with public-domain photographs of the kamikaze pilots.  Thinking of those young men who staked their lives in battle, even a sexcentric guy like me feels my heart swell. Rest in peace. ROCK POEM // “KAMIKAZE CORPS (so-called)” Original: MIYOSHI Tatsuji

(ラジオ)冲方丁版「No」と言えない日本人   「Nらじ!」サタデー・エッセーより


 冲方丁の話は毎回興味深い。(彼の小説は紫式部と清少納言が登場するのをさっと読んだ程度なので優等生ではないが。。。)今回のサタデー・エッセー、実に感動的だった。いやあ、受講生が全員「反論」出来なかった、とは。これでは、作家なんかになれんじゃないか!、と思いつつ聴いていた、その回(7月20日「Nらじ!」)から、略述する。


 本日は日本人の一番の行動原理って何だろうという話をしたいと思います。
 実は僕は池袋のデパートのカルチャースクールで文芸講座を持って三十数人ぐらい生徒さんがいらっしゃるんですが、ある時、全員ができなかった課題っていうのがあるんです。その問題というのは「反論しよう」でした。「何かに対して明確に反論してみよう」。つまり、命題に対して 「No」 と言ってみよう。しかし、皆さん、結局反論にならないんです。「かもしれない」とか「この意見もあるけれども、まあ、でも、こういう意見もあるよね」とか、だんだん何が本来の命題だったかが分かんなくなっていってしまう文章になったり、誰の話をしているのかがよく分からなくなるとか、この命題に対してなんとかノート言わなきゃいけないってやってるうちに、本当に何を書いてるのがよくわからない文章になってしまったり、とにかく反論ができない。「ノーと言えない日本人」なんて言われることがありますが、本当に言えないんだということにちょっと愕然としてしまいました。

 それで、どうやって教えたらいいだろう、と色々考えながら出した課題が、最近流行りの「ゴールデンサークル理論」。今、特に広告業界では大流行の考え方らしいです。イギリスのマーケティング・コンサルタントのサイモン・シネックさんという方が提唱した理論です。
 まず、真ん中に「Why(なぜ)」がある。自分はなぜそれが欲しいのか。なぜそうしたいのか。自分が抱く信念ーーこの信念はなぜ抱くようになったのか。みんなが幸せになるといいなって思っているが、なんであなたはみんなが幸せになるといいなと思うのかーーというふうに、とことん「なぜ」を追求するんです。

 そうすると、次は「How(どうするのか)」。最初の「なぜ」はよく分かった。例えば、みんなを笑顔にしたい。笑顔にしたいから、モノやサービスを提供するのか、ボランティアの仕組みを作るのか、商品を安くするのか、高くして価値を高めるのかなど、「How」になるわけです。

 その結果、これがあれば幸せになるというようなモノーー「What」が最後に来るわけです。「WHY」から「 How」「 What」、「なぜ」から「いかにして」。そして「何」が最終的に生まれるのかーーこの段落を踏むリーダーほどイノベーティブ、先進的で開拓者精神に富んでいる。

 この斬新なところは、しばらく前の「大量生産・大量消費時代」と全く逆ということなんです。あの時代は、まずモノがあるー「What」が山のようにある。「石鹸を大量に作れる」「車を十万台でも作れる」「冷蔵庫を無限に作れる」。じゃあ、これをどうやって広めよう。どうやってする運ぶか。最終的に、お客さんの手元に届けられるようになると、今度、お客さんがなぜそれを買わなきゃいけないかを企業側が決めちゃう。説得するわけです。「これが最新の流行だから買いましょう」とか「これがあると安心・安全ですから」というように「Why」が最後に来てたと言うんです。
 
 これからの新しい時代はその逆で「Why」が中心になるんだよ、という考えに基づいて、今度は生徒さん達に自分がしたいこと・やりたいこと、の「Why」とか「How」とか「What」を書いてみてください、という課題を出した。その過程で、はたと気づいたんです。日本人の一番の行動原理は「Why」でも「How」でも「What」でもないぞ。「When」だぞ、と。

「When」というのは、「いつ何月・何日だから、これをする」「いつだから、こうしよう」「いつだから、こうしなさい」というのが日本人の生活・行動原理に完全に染み付いているんじゃないかな、と。分かりやすいのが還暦です。60歳になると十干十二支という60種類の年数が一周する、一つの暦が還ってくるというので還暦になるわけですが、ヘタをすると、生まれてから 60年間、毎年毎年、「あなたは今こうです、あなたは今こうです」とスゴロクのように、その人の状態があらかじめ決められている。「そろそろ大人です」とか「そろそろくたびれました」とか「そろそろ仕事を早めに切り上げる頃でしょう」とか「そろそろ子供が何歳になっていないといけません」みたいな人生のタイムスケジュールが、誰が作ったのか分からないものが漠然と残ってるんですね。ああ、だからか。「When」というものに気付いた時に、時間的な配置がもう決まってるので、そのスケジュールに合わせて動く。だから、今更、反論の必要もない。集団行動を効率よく行うことに特化した文化だったんじゃないかな、と。

 でも、日本人の強みというものを改めて考えると、このタイムスケジュールの中での集団行動がずっと強みだったんだなぁと。こういう習慣の力をビジネスにするのが日本人はとても上手なんですね。日本の産業の中で一番海外に対してのアピールが成功してるものって「観光業」なんですよ。日本に来てもらって、日本のおもてなしを受けてもらうから、ルールに従ってもらう、と。このルールの一番は何かと言うと「季節」なんです。「春はこれをやる、夏はこのイベントをやって、秋は紅葉、冬が来て、何月何日で今はこれが売り時・これが旬です、これが楽しいんです」という、このおもてなしはすごい上手らしいんです。
 
 けれども、日本流のおもてなしを海外に持って行ってやる場合、何をやっていいか分からなくなる。そこで、大多数は、「この完成された集団行動はとても心地よいですよ。皆さんもこれを味わってみてください」という形でのサービスしかなかなかできていないと言うことらしいんです。でも、僕が思うに、なんとなくこれまで漠然と従ってきた習慣ーーこれからは、そういった習慣がいつまで成り立つか分からない時代になってくると思います。四季もどんどん変化してますし、海外に打って出ないとやってけなくなると言った時に、自分はこうしたいなって思っているけれども、なんとなく全体に合わせてしまう。そうすることによって、自分のポテンシャルが発揮されない。安心する代わりに、冒険もチャレンジもできない。そうした状態が今、日本人全員に振りかかっているのではなかろうかと思うんです。
 
 なので、集団に適応する自分と、個人として自立する自分との両立が、これからの日本人のあり方なんじゃないかしらと思ったわけです。「When」の習慣を呪縛と思ってしまうと否定的なんですけど、その「助け」は正しく借りつつ、「When」の理念からちょっと外れて「Why」ーーなぜ自分はそうしてたんだろう。こうすることに今までどんな意味があったかな。何で今そんなことするの、というような反論に対してもきっちりと反論したり解決をしたりする主体性をもって、自分自身の「Why」を見つけてみることによって、自分が支えとしていた・従っていた「When」の意味が改めて浮かび上がってくるかもしれません。

【冲方丁の本】


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