水に学べ
水に学ぶということはどういうことでしょうか。
まず、水の性質を考えてみたいと思います。
水流而不盈、行険而不失其信。(みずはながれてみたず。けんをゆきて、そのまことをうしなわざるなり)。
水の性質は「ながれてみたず」。流れるところがあれば流れ、常に動いて止どまることはない。「険を行きて、その信を失わざるなり」。「険」というのは険難の険です。「その信を失わざるなり」は、「信頼」の「信」です。
「険を行きてその信(まこと)を失わざるなり」と読ませてますね。水が流れてみたず。険を行きてその信(まこと)を失わざるなり。「険を行きて」というのは、困難な道、どんな地形にも逆らわない、絶えず流れ続け、「その信(まこと)を失わざるなり」。絶えず流れ続けて、最後は必ず水は海に注ぎ込みます。岩にぶつかろうが、どんなに険しい山間でも流れて行き、それは私たちの人生で、どのような状況であれ、どんな困難な時にでもあれ、水の本質は失うことがないーーそれに習いなさい。どんな困難の中にあっても、「険を行きて、その信(まこと)を失わざるなり」ーー必ず脱することができると信じる力です。
その信じる力を失ってはならない。状況を受け入れて、前に前に進んでいく。その場で止どまらない。水は必ず止どまらない。それがここで言う「信頼」の「信」。信じる心ーー信(まこと)です。
維心亨、乃以剛中也。有尚、往有功也。(これ、こころとおるとは、すなわち、ごうちゅうをもってなり)
逃げないこと・諦めないこと
「水」「坎」「落とし穴」と(前回)言いいました。「陰」は困難の真っ只中。それを「陽」で貫いていく。この一本貫いていく「陽」が信じる心です。何があっても必ず脱するぞと信ずる、前に進んでいく力です。信念ですね。私は必ずこの困難を脱するという信念を 貫く。もうダメだって諦めたら、そこで駄目になります。
また水は方円に従うとも言って、丸い形とか四角い形とか、その器、状況に応じて形を変えることができます。四角い器には四角く、丸い器には丸く自分自身を変幻自在に変えることができます。どんな状況にも対応できる力強さというものを秘めています。水は、実は硬い岩をも砕く大きな力を持っています。この「習坎」の時の、逆境に直面した人は水の性質や強みに学びなさいということを、この卦は教えています。それが困難に学ぶことですよ、と言っています。必ず逆境を乗り越えて、自分の志を実現するぞという強い信念。それが苦しい状況を変えて行きます。
必要なことは、逃げないこと。それからジタバタしないこと。水に溺れた時、もがけばもがくほど沈んでいきます。困難な時は絶対にジタバタせずに、流れに身を任せることが大切です。悪い状況に身を委ねる。任せるというのはとても勇気がいることなんですけども、「習坎」ではまず今が困難であれば、その困難を受け入れること。事実として受け入れることが大切です。そして、必ず状況は時々刻々と変化していく。変化しないものは何一つない。
ですから、時を待つこと。困難を受け入れること。時を待つことは、実は「陰」の力です。「陰陽」の「陰」の力です。しかし、困難な中で自分の信念を固く持ち続けて、貫いていく、絶対にとどまらずに進んでいく、流れ続けていくというのは「陽」の力です。もし、そのように目の前にある困難や苦しみとまっすぐに向き合って、耐え続けたとしたら、いかなる困難も乗り越えられる、と易経が「習坎」の中で約束しています。でも、人間って誰だって険難な状態や困難な状態には陥りたくないものなんですね。これを喜んでその中に飛び込むような人はいないと思います。
「時を用いる」
険之時用、大矣哉(けんのじよう、おおいなるかな)
この「険」は険難の険。「時用」というのは、「時を用いる」という字ですが、「けんのじよう、おおいなるかな」ーー「習坎」の時というのは険難・壮絶な苦難が度重なる時なんですね。そんな時なんて、もう言い難い、誰も用いたくない、積極的には。そうなんだけれども、敢えて用いて学ぶことを「時を用いる」ーー「時用」と言います。「時用」という言葉はあまり出てきません。易経の中でも、いくつかしか出てきません。でも、この「時用」
という言葉が出てきた時には、本当にこんな目にあいたくないという時の話に出てきます。
これは、もし敢えてそれを用いたら、用い難いけれども、もしこの時を用いたとしたら、人生において絶大な 効果・効用があるよと教えています。苦しみを楽しむなんて、苦しみの渦中にあったらとてもじゃないが考えられない。ですけれども、逃げずに乗り越えちゃった後になって、振り返って、あぁ、あの頃と思い出すと、あの苦難は大いなる時であった。あの苦難があったから、あの困難な時があったから、今の私はここにあるんだ。今の自分は今このような精神、このような存在としてあるのは、あの困難な時があったからだ、と後になったら分かる。苦しみ、困難や理不尽なことほど人間を育てるものはないという風に言っています。
【竹村亞希子の本 その2】
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