「易経」のシリーズは1クール13回で終わった。どれも感動的な解説。しかも、担当・竹村亞希子先生の鼻濁音に歳甲斐もなく萌えてしまい、毎回聞き惚れていた。中でも、第11回「逆境をいかに生きるか。水に学ぶ 苦しみから逃げてはいけない」は、心身ともに不調続きの老いらくに五体に染み入るほどの名講義だった。それを数回に分けて詳述する。
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「水に習え」ーー「坎為水(かんいすい)」
「逆境をいかに生きるか。水に学ぶ」というテーマで「習坎(しゅうかん)ーー坎為水(かんいすい)」の卦を読んでいきたいと思います。
「習坎」。これ、実は本当の名前は「坎為水(かんいすい)」という名前です。「習坎」の字は、「しゅう」は「習う」。「坎」は「土偏」に「欠ける」と書いてあります。「坎為水(かんいすい)」の「水」。これは「かんは水だよ」という意味です。「かんを水となす」という意味です。
古代から水は人間にとってとても必要なものなんですけれど、災害にもなりました。川の氾濫とか大雨とか洪水とか津波とかということで、古代とても水に苦しみました。しかも、現代もやはりその水を制するというところまではいっていません。古代から「水を制する者は天下を制する」とも言われてきました。水との戦いの歴史でもあったと思います。
実は、「坎(かん)」というの名前なんですが、「土が欠ける」ーーこれは自然に配当すると、「天澤火雷風水山地」の中の水になる。困難だとか苦労だとか逆境とか病気だとか、私たちがイメージするとても苦しいもの、嫌なもの、できれば避けたいものと言えば、これは「坎の水」になるんです、「八卦」の中では。
「坎(かん)」が「土が欠ける」という字なんですが、「土が欠ける」とは何ですか。落とし穴ですよね。落とし穴に落ちたらなかなか抜け出せなくて、とても苦しみます。「坎為水(かんいすい)」というのは「水」のマークが二つ重なっています(坎と水)。繰り返し困難が押し寄せてくる。険難が重なる。言ってみれば「一難去ってまた一難」。
もう一つ、64卦の中に、「四難卦」(「水雷屯」、「坎為水」、「水山蹇」、「澤水困」)という大きな困難を表す卦があります。その中の1種類です。困難を表す水が二つ重なっているのは、この「坎為水」ーー「習坎」です。
実は、名前にも時中があるんですね。「時中」ーーその時にぴったりのことーーを実現すると、どのような難しい時、どのように困難な時でも物事は通る。これは易経の約束事です。で、その時中はどこに書かれているかというと、本文の最初にも書かれています。そして、ほとんどの解説はその時中の解説です。
「苦しみ」に習う
「習坎」というのは、「坎に習う」という字です。「坎に習う」というのはどういうことか。「苦しみに習う」ということです。それから「坎」は水ですから、「水に習う」という意味でもあります。 「習坎」の「習」は「習う」という意味以外に「繰り返す」という意味があります。「何度も何度も、繰り返し困難が押し寄せてくる」と聞くと、「えー、嫌だな」と思うでしょう。誰でも嫌なんですが、この「習坎」で「時中」はなんと書かれているかーー。
習坎。有孚。維心亨。行有尚。
(習坎はまことあり。これ、こころとおる。ゆくときはたっとばれることあり)。
その後に、
彖曰、習坎、重険也。水流而不盈、行険而不失其信。維心亨、乃以剛中也。有尚、往有功也。
(たんにいわく、しゅうかんはちょうけんなり。みずはながれてみたず。けんをゆきてそのまことをうしなわざるなり。これ、こころとおるとは 、すなわち「ごうちゅうなるをもってなり。「ゆくときはたっとばるることあり」とは、ゆきてこうあるなり)ーー。
「習坎、重険也(習坎は重険なり)」というのは、「重険」は「険しい困難が重なる」ということです。例えば、落とし穴が何度も何度も重なる、穴また穴に陥るという意味が出てきます。苦しみがまた次の苦しみを生む。一層の苦しみを呼んで、それが繰り返される。それほどの苦しみをどうやって脱すればいいのか。「習坎」は険難が何度も繰り返し度重なるとき、を表します。その険難からどうすれば脱することができるのか、それを教えているのがこの「習坎」ーー「坎為水」の時です。
結論から言うと、「困難な状況にあったら、そこから学びなさい」「困難が何度来ても、その度に学び続けなさい」。もっと言ったら、「困難を楽しみなさい」とまで言っているんです、この卦は。どうやったら困難を楽しむなんてことできるんでしょうね。信じられないことが書かれてます。はい。
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その2
【竹村亞希子の本 その1】
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