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【12月8日に寄せて その2】中原中也「サーカス」(昭和九年) ー茶色い戦争ありました。。。 [On December 8th—Pearl Harbor Day] Nakahara Chūya’s Circus (1934): “There Was a Brown War…”

  「ゆあーん、ゆよーん」  天才詩人の残した不朽のオノマトペである。しかし、その何とも童話チックな響きとは裏腹に、その詩「サーカス」は、「戦争」というものの本質−−冷酷さ、嘘くささ、滑稽さ等々−−が、小学生でも分かる言葉で綴られている。「サーカス」は、それに踊らされている大衆なのか、当局なのか。。。この詩を収めた詩集『山羊の歌』は昭和九年が発刊年。青空文庫によると、12月10日というから、ほぼ91年前の冬だ。今の世界はどうなのか。暗い気持ちと向き合いつつ動画を作った。 “Yuaaan, yuyooon.” This is the immortal onomatopoeia left to us by a genius poet. For all its fairy-tale charm, the poem Circus in which it appears speaks of the essence of war—its cold cruelty, its falseness, its absurdity—in words that even a child could understand. Is Circus about the masses being made to dance, or about the authorities who pull the strings…? The collection that contains this poem, Goat Songs, was published in 1934. According to Aozora Bunko, the date was December 10th—so it was the winter almost ninety-one years ago. And what about the world now? I made this video while facing that darkness within myself.

【Nuyorican Poets Cafe Online Open MIC/The Last MIC of 2021】Arbiter might flee.Again! +本年を振り返って。

 本日、大晦日を飾るNuyoのマイク。

MCを務めるのはLa Bruja。

先週、「くるみ割り人形」をやったばかり。

しかし、今日はアンコール朗読だ。

以前、木曜日のマイクでAdvoがMC代行だった日に読んだものなので、

今回は是非、Brujaに直接「ThanQ Performance」を、と

先週の段階で決めていた。


”Arbiter might flee”

お察しの通り、「強制収容所」のスローガンから想を得た。

戦後80年になろうとしてるが

果たして我々は「自由」と言えようかーー。

コロナも取り入れつつ

サルトル張りに哲学を試みた。。。


視聴者諸氏のご見識に俟ちたい。




【追記】(真情と本年の振り返り)

 もう、人を誘うのはやめたほうがよさそうだ。恐らく迷惑がられている、だろう。ご挨拶に「いいね」を押してもらっているようだが。。。


 妙な感覚だ。彼らの英語を完璧に聴き取れている訳ではないというのに、Nuyoのzoomにいると孤独感が薄らぐ。それどころか、朗読後に絶大なポジティブ・フィードバックを頂戴したりすると、天にも昇る気持ちになる。しかし、そのお陰でZEBRAの入選と、それに続くBrujaのBeatnix出演があった。一回一回のマイクに「オーディション」の如く臨んできた自負はある。


 一方、在住国のTwitterを見ていると、凄まじい疎外感に襲われる。同業者たちの仲睦まじき交流に羨望というより、「ああ、これで幸せになれる俺ではないんだな」と自己省察を新たにしたりもする。「俺は海外(そと)で闘う!」といったような一種のヒロイズム。それは疎外感の裏返しと言えなくもないが、やはり私にとってZEBRAは大きかった。Poetryに特化したFilmの場での入選。私はもはや後には戻れないし、戻りたくない。Twitterより英詩を読むことに時間を割くべきだ。「3秒天下※」など尻目にして。

(※SNSで他人をディスれば、一瞬、天下を取ったような優越感を得る。が、実際、その者は、著名な評論家でも作家でも詩人でもない。SNSはcelebrityから一般人まで同じタイムラインでコメントが並ぶから、自分も同列に属しているような錯覚を抱きがちだ。だから、大のオトナも、ゲーム中毒児の如くスマホを手放せないでいる。無名人を有名人に(3秒程度?)させてくれる(しかし、実際はそうなってはいない)打ち出の小槌。そのアディクトが、「権力の儚さ」を喩えた「三日天下」以上に虚しい「三秒天下」である)


 つらつら書いてしまった。ブログ初期とは隔世の感がある。正直、現在の真情は「コウモリ」だ。鳥でもなければ動物でもない。だから、暗闇の洞窟に天井から頭を下にしてぶら下がっている。。。まさに「エキセントリック」だ。この感覚は孤独で異様だが、嫌いではない。なにせ早くも五歳で「違和感」から幼稚園を独り飛び出して帰宅した変人だ。変愚リッシュを極めるつもりで飛躍の2022にしたい!


 

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