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【知恵こそ武器】ロック歌舞伎「勧進帳」  Wisdom Is the True Weapon — Rock Kabuki “Kanjinchō”

  かつて、戦争資料館の館長から聞いたエピソード。招集された市民が軍服を手渡され、着てみると小さく、交換を申し出ると「お前が軍服に合わせろ!」と怒鳴られたそうだ。  役所、役人というのはそういうものだろう。「勧進帳」(能「安宅」)は、そんな「人を肩に嵌めようとする権力」の計略を知恵で乗り切ろうとする痛快劇である。しかし、その機転と裁量は、ただ一日ぼうっと過ごして育まれるものではなかろう。権力の前で怯え、平伏し、従ってしまうのが常。だからこそ、弁慶のような智勇を兼ね備えた人物に、時代を超えた憧れを抱くのかも知れない。現代で言えば、大谷翔平だろうか。。。   「弁天小僧 菊之助」  に続くロック歌舞伎の第二弾。「大恩教主の秋の月」の季節ではないが、選挙が近いともあって、制作した「勧進帳」のように、投票用紙に自分の意見を書けば無効になる。「指定の名を」というのが権力側の意向。そこに民意が反映されるのか、、、いつもの疑問である。  Once, I heard an episode from the director of a war museum. Citizens who had been drafted were handed military uniforms. When one man tried his on, it was too small. He asked for a different size—and was shouted at: “Adjust yourself to the uniform!”  That, in essence, is how bureaucracies and officials tend to work.  Kanjinchō (from the Noh play Ataka ) is a rousing tale about overcoming exactly this kind of power—power that tries to force people to fit its mold—through wit and ingenuity. But such presence of mind and judgment are not cultivated by drifting through one’...

【詩人より痴人が楽し グロいあめ】親愛なるミッドへ 〜善戦した傷痍兵

  KOTOBAスラムJapanの中継配信翌日、帰京する我が詩友、元親ミッドへ長ったらしいツイッターを送った。それをそのまま紹介する。

(ちっ! 柴田トヨ、井伏鱒二、井上靖。。。おまけに、何だ、いかにも「スマップ」、いやいや、日本語ラッパーが歌いそうなラストは! お偉いさんらの蔑笑が見えるようだよ!)


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 敬愛するミッドに真情を伝えたくて「日本語」で書く。

ミッドのなかの「詩人」って何? 「現代詩手帖笑」? 「市庁舎」? 俺は言われたことあるよ、「POETAQ」なんぞ「詩人」と認めてないからって。

 でも不思議だ。NJ(ジャージー)のカレッジで創作教授のポールは「POETAQ.君は僕に影響を及ぼしてる詩人の一人だよ」と言ってくれてる。どういう事?「何になる」が目標か、「何を書く」が目標か。思うに、その「書いたもの」が「詩」と呼ばれようが「三文」とけなされようが、どうでもいいことではないのか。

 数年前に売れたね、100歳詩人のお婆ちゃん柴田トヨ。彼女は大御所・新川和江が認めたのだ。でも「アンナの詩じゃねえ」と言われてたろうね。でも「詩集」と冠されて売れたのヨ。井伏鱒二の「厄除け詩集」。漢詩訳の最高峰だ。でも、これも「アンナの」だろうね?

 井上靖が散文詩を多く残してる。珠玉だぜ。でも詩壇では無視だろう?井上靖はノーベル賞候補。もし受賞してたら「再評価」だ。結局「詩」を書くとかジャなくて、ミッドは「ミッド」を書く。ポエタクは「ポエタク」を書く。それでいいじゃん。「推定」もへったくれもあるもんか!

俺はミッドの詩集を「詩集」と読まず、「手紙」「日記」と読む。haha、定義などどーでもいいと言っておきながら。でも、人間って不思議だよね。「詩集」と書いてあると、「詩集」と脳味噌がそのモードで読み始める。一種の「ダマシ」だ。俺らはいかに騙されてばかりか。

 長くなって御免。俺が負けてミッドが東京。前にも書いたが、俺はルポを書くことになってたんだ。毒舌の俺が初めてこの一連のスラム配信を「何たる奇跡!」と感謝の念に包まれ率直に投稿した。もし東京だったら、主催の名朗読も他選手の健闘も無視だった。

 ミッドは立派だった。決して万全と言えぬ体調での奮戦だった。それを誇るべきだ。誇らないのは「己れ」への冒涜。有森裕子ではないが、結局「褒めるのも貶すのも自分自身」。他人など無視(詩)!「ミッドはミッド」だ!そう突き破れた時、君の作品は永遠不滅の金剛石と輝く!


 シジンよりチジンがタノシ グロいあめ

 

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