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【二百年前の強き日本で候】本日2月18日「異国船打払令」発令日(文政八年 1825年)/What Guts! “The Edict to Repel Foreign Ships”(1825)

 ちょうど二百年前の今日、1825年の2月18日、 文政の「異国船打払令」、いわゆる「無二念打払令」が発令された。 その強きな姿勢に、初めて正式文書を読んだ私はいささか驚いたと同時に、逞しさを覚えた。 現代日本と「何たる違いだ!」と。  尤も、この後から情勢は急変、開国へと向かうわけだが、「いうべきことは言う」といった当時の幕府のポリシーと心意気が頼もしくうかがえる。まさに、武士道である。  ああ、しかし、今やそれも遠い過去となってしまったのか。。。  一縷の希望?を託したシャッフル・ビート(朗読)をお楽しみください。 Exactly two hundred years ago today, on February 18, 1825, the Edict to Repel Foreign Ships, also known as the No-Second-Thoughts Repel Order, was issued during the Bunsei era. When I read the official document for the first time, I was both surprised by its resolute stance and impressed by its boldness. I couldn’t help but think, "How different this is from Japan today!" Of course, the situation changed rapidly after this, eventually leading to the opening of the country. However, the shogunate’s policy and spirit at that time — one of “saying what must be said” — left me feeling reassured and inspired. This was truly the essence of Bushido. And yet... has all of that become nothing more than a distant memory? Please...

(夢)黙秘。。。

親族の会食(らしい)。
豪華ホテル
あるいは
宴会場に親戚縁者が集まっている
といっても
具体的な顔が分からない
明らかなのは
父親だけだ

私は父を嫌悪している
同居など御免だ

様々な事情で
同居を余儀なくされている

毎日が闘いである
顔を合わさぬための
同じ屋根の下で暮らしながら
顔を合わさぬというのは
東大合格より難しい
ストレスも甚大だ
そのせいだろう
私は
父親に聞こえよがしに
近くの母か誰かに
「死にたい、死にたい」と
大声で喚いている
父は耳が遠くなっているが
その喚きは確実に聞こえているはずで
しかし
生来の争いを嫌う性格からか
怒りを表に出さぬ我慢強さからか
ダンマリを決め込んでいる

そうなのだ
彼は昔から
何も言わぬ男であった
そうした我が身を害しかねぬ表現は
一切取らなかった
そのくせ
「いい大学 いい会社」などと
我が子にはうるさかった
自分は仕事から帰ると
テレビ漬けで
本など一冊として読まなかったくせに
(退職して既に二十年近くなっても
 それは変わらぬ。。。)

肉体労務だったお陰だろう
脳味噌は別として
体は頑丈に出来ている
だから
ヒートショックでたびたび寝込む私より
下手すると長生きするかも知れない
いや
しそうだ
そんな悔しさ・歯痒さもあって
つい愚痴を聞かせたのである
軽侮と憎悪を込めて。。。

そうして
すぐそばに父を感じながら会場を出ると
場面は「空港」に変わっていた
しかも
搭乗口を私だけが間違えたらしく
あたふたしている
行き先など分からない
とにかく
そのフライトを逃すと
とんでもないことになるのは承知していて
何かの刑罰でも食らったかのように
泣きそうになりつつ
ゲート付近を走り回っているのだ。。。

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