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【二百年前の強き日本で候】本日2月18日「異国船打払令」発令日(文政八年 1825年)/What Guts! “The Edict to Repel Foreign Ships”(1825)

 ちょうど二百年前の今日、1825年の2月18日、 文政の「異国船打払令」、いわゆる「無二念打払令」が発令された。 その強きな姿勢に、初めて正式文書を読んだ私はいささか驚いたと同時に、逞しさを覚えた。 現代日本と「何たる違いだ!」と。  尤も、この後から情勢は急変、開国へと向かうわけだが、「いうべきことは言う」といった当時の幕府のポリシーと心意気が頼もしくうかがえる。まさに、武士道である。  ああ、しかし、今やそれも遠い過去となってしまったのか。。。  一縷の希望?を託したシャッフル・ビート(朗読)をお楽しみください。 Exactly two hundred years ago today, on February 18, 1825, the Edict to Repel Foreign Ships, also known as the No-Second-Thoughts Repel Order, was issued during the Bunsei era. When I read the official document for the first time, I was both surprised by its resolute stance and impressed by its boldness. I couldn’t help but think, "How different this is from Japan today!" Of course, the situation changed rapidly after this, eventually leading to the opening of the country. However, the shogunate’s policy and spirit at that time — one of “saying what must be said” — left me feeling reassured and inspired. This was truly the essence of Bushido. And yet... has all of that become nothing more than a distant memory? Please...

混沌な情念、大耳のスターたち(下松かつとプロデュース 「大耳ライブ」詩人たちの夜Ⅱ)

先月のPSJ福岡大会の余韻覚めやらぬ昨日
同会場で行われた「大耳ライブ」。
かつての詩友・りゅうせいの「里帰り」ということで
最近、お能と福ポエ以外は遠出しない小生は
久々に(と言っても、2週間ぶり)会場への
「箱崎水族館喫茶室」へ

精力にとどまらず
認知機能もアラ還(阿羅漢?)なのか
「りょうせい、りょうせい!」と
間違った呼称で祝酒を届けていた。
(正しくは「りゅうせい」)

リハ中のとこを
十数年ぶりの彼は
変わりなき若さとクールさで
死に体の小生とハグし再会を喜び合う。

最前卓に座ると
福ポエの常連詩人もいて
相変わらず噛み合わぬ会話を楽しみ
いよいよ開演。

①みやいさとし(弾き語り)



 ウッドベースの生うた、は初体験。巧みな指さばき、震え叫ぶボイス、エフエクターによって増幅されるノイズーー。曲が進むにつれ、奏者の悲愴な情念は歌声と共に高まり、遂には号泣となって爆裂した。わかるぜ、その気持ち。悲しきベーシストよ!


②鳥飼貴雄(パフォーマンス)





詩友の一節を読みながら、店舗受付から現れたパフォーマーは、さながらお能の「翁」を思わすゆっくりとした足取りで舞台へ。自己と世界に対する違和感を、我が体の欲する、または、反する奇怪な動きで表現してみせた。異様さとユーモアの混交。次はリア王が見たいね。

③りゅうせい(ポエトリーリーディング)


前フリで何度も伺っていたテーマの重さ。。。ちと構えて聞いていた。いつもの沈着な口調と的確な描写。聞かせるために練られたテキスト。詩人である。後半の自伝的掌編。ああ、Q州の地方育ちがコンクリートで構築されたメトロポリスに長いこと住んでると(地方出身者に限らず)、心身と人生の危機も容易に深刻化するのだろう。魂の救済劇である能楽を勧めた。(何せ、最初は明日をも知れぬ武将らの慰安だったって言うんだから)

④日向和枝(三題即興芝居)




この女優を見くびってはいけない。お題の一つ「AI」を試す気持ちで提示した小生は、「さあ、どんな即興を見せてくれるのか」と些か意地悪な目で眺めていたが、なかなかどうして、結局「1イカ墨 2AI 3台風19号」という、いずれも結びつきにくいお題を、わずか十数分の間に考案、一つの悲恋にまとめ上げ、妖艶なる演技を披露してくれた。ここに、来年30周年を迎える「大耳」を率いて来られた下松かつと氏の名プロデュース振りを見る思いがした。

⑤森耕(詩の朗読)



「ガムテープ男」で知られる怪優の素顔に驚嘆した。というのも、小生は彼の仮面と不可解極まる蛮演しか知らず、ちと先入観に囚われていた。が、である。今回の彼の朗読は、先月のPSJ福岡大会で優勝を飾った神保氏に通ずる、「これぞ朗読」といった、気を衒ったり、歌を歌ったりではない直球勝負、まさに「言葉」そのものの威力を改めて教えてくれるものだったからである。読まれたテキストはダダイズムを中心とする偉人怪人・博覧強記の数々だったが、その名文を森氏のマイクを通さぬ地声と素の姿によって血肉化され、強烈なインパクトで小生の胸を襲った。脱帽である!


詩に死す(近況にかえて)


先月のスラムに続いての詩祭! ああ、ハロウィンなど餓鬼のお遊び、と唾棄しそうなほどの祝炎が、小生の胸には今なお炎上を続けている。幸せなことだ。ただし、余りに苛烈過ぎて精力減退の中途半端ジジイは些かお疲れ気味である。もっとも、それほどの毒が詩にはある、ということなのだ。「詩に死す」である。




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