スキップしてメイン コンテンツに移動

注目

【終戦80周年】『愛國百人一首』『戦争(作・与謝野晶子)』を詠む

  8月15日を迎えた。終戦80周年(海外では、日本が降伏文書に署名した9月2日)に寄せて、二作を制作。祈りの一日。。。 『愛國百人一首』 ロック詩『戦争』与謝野晶子 August 15 has come — the 80th anniversary of the end of the war. (Overseas, the date is marked as September 2, when Japan signed the Instrument of Surrender.) On this day of prayer, I completed two new works. 【English Subs】80 Years After WWII /100 Patriotic Tanka Poems (1942): Samurai Spirit in Prewar Japan “War(戦争)” Yosano Akiko,Poet(1878-1942)  JPN Read/ENG Subs  

(日常)興味なし。。。

「いいじゃん。ホントのお父さんじゃないんだから」
男の子はそう言って、義父の手にかけられた。
「原子力政策を忖度」
福島原発の元経営陣三人は無罪になった。
昨日のことである。

さて本日は
ラグビーW杯が開幕。
ラジオでは大河ドラマの演出家がPR。
いずれも全く興味なし。
そして台風18号が接近中。

鬱が続く。
天候と同様
心は曇ったままである。

「絶望」
「妖女」
このテーマで長編を書く。
ぼんやりとプロットは浮かんでいる。

創作する時だけだ、「自分」が消える時は。
ひとはバカのひとつ覚えのごとく
「自分探し、自分探し」なぞと唱える。
しかし
「自分」ってなんなのだ。
それさえてめえでよく分かってないくせに
なにが「自分探しだ」と言いたい。
そんなもの
ないのだ!
いや。
敢えて言えば
そうして「自分探し」なんて夢想してるその身自体が
「自分」ではないのか?
いわゆる「我思う、ゆえに我あり」ってヤツ

ああ
もうそんな御託を並べるのはよそう
最近の小生のブログからも御察しのとおり
小生、相当、崩れている。
疲れている。

その崩れ加減
疲れ加減を
そのまま
赤裸々に記すことにする

とにかく何もかもがイヤなのだ
その「イヤさ」予防が
小生にとっては「創作」なのだ

悪魔が
「カッコつけるな」と囁いている
政治家じゃあるまいし
小泉坊っちゃまではあるまいし
「やります」ってだけは言えるので
その証拠を示さねばならぬ
それが
宇宙へ還った時に見下ろす
哀れにも愛しい足跡ーー

願わくば
我が身でも労えるシロモノとなるよう
努めるのみである。。。




コメント