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注目

【八代亜紀・舟唄に学ぶ〜装い新たに】『山茶花(さざんか)』

 大昔、太鼓と共に歌ったことのある詩を再現。  尺八、アコギ、ストリングスで演出。編集には、八代亜紀の「舟唄」を何度も聞いて学ぶ。 編曲の力は絶大。まさに生殺与奪、その詩、曲を生かすも殺すもアレンジ次第と痛感させられた。  I recreated a poem I once performed long ago, singing it alongside taiko drums. This time I arranged it with shakuhachi, acoustic guitar, and strings. While editing, I studied by listening to Yashiro Aki’s “Funauta” over and over. (Yashiro Aki is the late Japanese Singer.)The power of arrangement is immense—truly a matter of life and death. It made me realize, painfully, that whether a poem or song is brought to life or ruined depends on the arrangement.

(日常)興味なし。。。

「いいじゃん。ホントのお父さんじゃないんだから」
男の子はそう言って、義父の手にかけられた。
「原子力政策を忖度」
福島原発の元経営陣三人は無罪になった。
昨日のことである。

さて本日は
ラグビーW杯が開幕。
ラジオでは大河ドラマの演出家がPR。
いずれも全く興味なし。
そして台風18号が接近中。

鬱が続く。
天候と同様
心は曇ったままである。

「絶望」
「妖女」
このテーマで長編を書く。
ぼんやりとプロットは浮かんでいる。

創作する時だけだ、「自分」が消える時は。
ひとはバカのひとつ覚えのごとく
「自分探し、自分探し」なぞと唱える。
しかし
「自分」ってなんなのだ。
それさえてめえでよく分かってないくせに
なにが「自分探しだ」と言いたい。
そんなもの
ないのだ!
いや。
敢えて言えば
そうして「自分探し」なんて夢想してるその身自体が
「自分」ではないのか?
いわゆる「我思う、ゆえに我あり」ってヤツ

ああ
もうそんな御託を並べるのはよそう
最近の小生のブログからも御察しのとおり
小生、相当、崩れている。
疲れている。

その崩れ加減
疲れ加減を
そのまま
赤裸々に記すことにする

とにかく何もかもがイヤなのだ
その「イヤさ」予防が
小生にとっては「創作」なのだ

悪魔が
「カッコつけるな」と囁いている
政治家じゃあるまいし
小泉坊っちゃまではあるまいし
「やります」ってだけは言えるので
その証拠を示さねばならぬ
それが
宇宙へ還った時に見下ろす
哀れにも愛しい足跡ーー

願わくば
我が身でも労えるシロモノとなるよう
努めるのみである。。。




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