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注目

【為政者よ、見習え!】海陸の賊徒を討ち、国家人民を安ず〜印度副王宛 豊臣秀吉書翰 〜天正十九 (1591)年

  20日の投票日に向けて、参議院選挙たけなわ。  全ての言葉が空虚に響いてならない。  為政者よ、政治家よ、候補者よ、「吾邦(わがくに)已に晏然(あんぜん)たり」と言い切る秀吉を見習え!、との思いで制作。当時の覇権国ポルトガル国(ポルトガル領インド)の副王に容赦ない関白の気概が伝われば幸いです。 印度副王宛 豊臣秀吉書翰 〜天正十九 (1591)年 

(日常)興味なし。。。

「いいじゃん。ホントのお父さんじゃないんだから」
男の子はそう言って、義父の手にかけられた。
「原子力政策を忖度」
福島原発の元経営陣三人は無罪になった。
昨日のことである。

さて本日は
ラグビーW杯が開幕。
ラジオでは大河ドラマの演出家がPR。
いずれも全く興味なし。
そして台風18号が接近中。

鬱が続く。
天候と同様
心は曇ったままである。

「絶望」
「妖女」
このテーマで長編を書く。
ぼんやりとプロットは浮かんでいる。

創作する時だけだ、「自分」が消える時は。
ひとはバカのひとつ覚えのごとく
「自分探し、自分探し」なぞと唱える。
しかし
「自分」ってなんなのだ。
それさえてめえでよく分かってないくせに
なにが「自分探しだ」と言いたい。
そんなもの
ないのだ!
いや。
敢えて言えば
そうして「自分探し」なんて夢想してるその身自体が
「自分」ではないのか?
いわゆる「我思う、ゆえに我あり」ってヤツ

ああ
もうそんな御託を並べるのはよそう
最近の小生のブログからも御察しのとおり
小生、相当、崩れている。
疲れている。

その崩れ加減
疲れ加減を
そのまま
赤裸々に記すことにする

とにかく何もかもがイヤなのだ
その「イヤさ」予防が
小生にとっては「創作」なのだ

悪魔が
「カッコつけるな」と囁いている
政治家じゃあるまいし
小泉坊っちゃまではあるまいし
「やります」ってだけは言えるので
その証拠を示さねばならぬ
それが
宇宙へ還った時に見下ろす
哀れにも愛しい足跡ーー

願わくば
我が身でも労えるシロモノとなるよう
努めるのみである。。。




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