もう十年以上前
長崎で「二重被爆」体験者の話を聞いた
故・山口彊(つよし)氏。
当時90歳。
昭和九年に三菱重工長崎造船所の入社。
昭和二十年五月から広島に出張中、被爆。
翌日午後、長崎に戻り、八月九日、
広島での状況を報告中に二度目の被爆。
壮絶な人生である。
そのドキュメント映画を体験とともに観たのだった。
山口さんは歌人でもあられる。
その歌集(絶版)『人間筏』(あすなろ社)から
数首挙げる。
大広島炎(も)え轟きし朝明けて川流れ来る人間筏
ぬばたまの夜をあかあかと立つ普賢肩よりこぼす火砕流見ゆ
ひとつ身に遭ふ広島忌長崎忌二重被爆者と言はれつつ老ゆ
スミソニアン原爆展に除外されし融け塊(かた)りしロザリオの青
特攻碑のある此処人間魚雷基地生き残りしは例外と言ふ
原子船「むつ」の放射能洩れ検知すと近き民家の「つゆくさの花」
短い歌運命(さだめ)のごとしひたすらに詠みつづけ来て歌集拙しーー
国連でも反戦を訴えた山口さん。「運命」と詠んだ短歌とともに核廃絶に向けて挺身された生涯に合掌。
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