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【Nutural BGM Video For Tinnitus/耳鳴りケアの自然BGM動画】体験談、My Personal Experience

 耳鳴りは「治す」と言うより「慣れる」が肝心と知りました。私は耳鳴りが発症して3ヶ月は苦しみました。眠れずに耳鼻科から睡眠導入剤を処方してもらいました。しかし、二ヶ月過ぎて、このまま一生薬に頼るわけにはいかないと決意し、BGMだけで眠れるよう努力しました。カイロプラクティックや人工的ノイズも試しましたが、最も効果があったのが鈴虫の合唱でした。近くの草むらで録音したものです。やはり人間は自然物が一番良いみたいですね。そして、ついに発症して三ヶ月過ぎに、ようやく薬なしで眠れるようになりました。耳鳴りは止まってませんが、脳と体が慣れてしまったようです。発症後三ヶ月は苦しいと思います。しかし、それを乗り越えると、支障なくなる、と思います。私もその三ヶ月は地獄でしたが、現在は克服しました。今、耳鳴りと闘っている方がいらっしゃったら、「闘う」と言うより「飼い慣らす」と言う気持ちで、決して焦らず、また、辛抱強く「眠り」が訪れるのを待ってみてください。皆様に「通常の日常」が戻ってくることを祈りつつ。。。  I realized that tinnitus is not so much something to be “cured” as something to “get used to.” For the first three months after my tinnitus began, I suffered greatly. I couldn’t sleep, and the ENT prescribed me sleeping pills. But after two months, I decided that I couldn’t rely on medication for the rest of my life, and I made the effort to sleep using only background sounds. I tried chiropractic treatment and artificial noise, but what proved most effective was the chorus of crickets. I recorded them myself in the nearby grass. It seems tha...

二重被爆 山口彊の遺言 〜8・9 長崎原爆の日に寄せて


もう十年以上前
長崎で「二重被爆」体験者の話を聞いた
故・山口彊(つよし)氏。
当時90歳。
昭和九年に三菱重工長崎造船所の入社。
昭和二十年五月から広島に出張中、被爆。
翌日午後、長崎に戻り、八月九日、
広島での状況を報告中に二度目の被爆。
壮絶な人生である。
そのドキュメント映画を体験とともに観たのだった。

山口さんは歌人でもあられる。
その歌集(絶版)『人間筏』(あすなろ社)から
数首挙げる。


 大広島炎(も)え轟きし朝明けて川流れ来る人間筏

 ぬばたまの夜をあかあかと立つ普賢肩よりこぼす火砕流見ゆ

 ひとつ身に遭ふ広島忌長崎忌二重被爆者と言はれつつ老ゆ

 スミソニアン原爆展に除外されし融け塊(かた)りしロザリオの青

 特攻碑のある此処人間魚雷基地生き残りしは例外と言ふ

 原子船「むつ」の放射能洩れ検知すと近き民家の「つゆくさの花」

 短い歌運命(さだめ)のごとしひたすらに詠みつづけ来て歌集拙しーー



国連でも反戦を訴えた山口さん。「運命」と詠んだ短歌とともに核廃絶に向けて挺身された生涯に合掌。


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