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【白秋はロックな詩人〜北原白秋「邪宗門秘曲(ロック)」】

  北原白秋、と聞くと、真っ先に童謡のイメージを抱く。しかも、金子みすゞと並んで教科書に載るような実に優等生的名作ばかりで、荒みきった小生には退屈で仕方ない。だから、長い間ノータッチだったのだが、ふと「邪宗門」という言葉に引っかかるところがあり、「青空文庫」を閲覧してみて仰天した。かくもキレキレの白秋にお目にかかるのは、遅まきながら初めてだったのだ。童謡のイメージが見事に粉砕された瞬間だった。と同時に、ロックビートが耳に蘇ってきて、それで朗誦することにした。詩人の若き時は、なぜこうも尖っているのだろう。歳を取り名声や勲章を手にすると、鋭さはなまってしまうのか。政治にしろ芸術にしろ、「みんなに愛される」のは、結局「誰にも愛されない」ことか。「嫌われ者」が理想?  When I hear the name Kitahara Hakushu, the first thing that comes to mind is children’s songs. And not just any children’s songs, but those impeccably “model-student” masterpieces that seem to belong in school textbooks alongside the poems of Kaneko Misuzu. For a jaded fellow like myself, they were simply too wholesome to be interesting.  So for a long time, I left Kitahara completely untouched. But one day, the word Jashūmon somehow caught my attention. I looked it up on Aozora Bunko—and was astonished.  This was the first time, late though it may have been, that I had encountered such a sharp-edged, dazzlingly intense Hakushū. In that moment, my image...

短冊に寄せて~NHK-FM「草子洗小町」を聴いて

七夕や会えるとすれば「cafe涅槃」

短冊と歌合


図書館に短冊が飾ってあった
七夕だからね
街ではそれこそ「ギンギン・ギラギラ」な夢物語が
白手袋たちによって声高に叫ばれいるけれど
もはや夢もロマンスも無縁の「シニタイ」には
七夕飾りを目の前にしても
なんら感興を呼ばれない
(私は病んでいるのか???)

そうそう
いつものごとく日曜の早朝から
1億2千万人(2000万円?!)のうち3人くらいは聴いているであろう
NHKラジオ「FM能楽堂」が
世阿弥作と言われている「草子洗小町」を謡っていた
令和同様、平和な貴族の時代(もっとも庶民はいつの時代も貧しいが)
「歌合」といって、陛下の御前に招集された歌仙たちが
あらかじめ与えらた「歌題」による歌を短冊に書いて持ち寄り
誰が最も優れた作か、を競う
現代で言えば「詩のボクシング」「ポエトリー・スラム」「ライム・バトル」みたなものだ

能「草子洗小町」(あらすじ)


登場人物がこれまた凄い!
おのののか、じゃない!(すみません。つい、ファンだもんだから)
小野小町を筆頭に、大伴黒主(両者とも六歌仙メンバ-)
「古今和歌集」の仮名序の著者・紀貫之
平安時代前期の三十六歌仙である凡河内躬恒、壬生忠岑といった
正直、時代的に同席不可能なメンツが居並ぶなか
歌詠みの幕が開くのだが・・・。

実はその前日
才色兼備と名が通っていた小野小町の対戦相手として決まっていた大伴黒主が
小町にはとても勝ち目ないと悟って
なにを思ったか
取り巻きを連れて小町宅に潜入
翌日に備えて稽古していた彼女の歌をこっそり盗み聴きし
その歌を小町オリジナルでなく古歌からの盗作に仕立て上げ
その不正を公に晒すべく
証拠文献にするつもりの『万葉集』(今、一時的に流行!)に
さらさらと小町歌を書き足したのである
それをしれっとした顔で歌会に持ち込んだ黒主
計画通り、小町が歌ったあとに「それは盗作!」と指摘
『万葉集』という七千余りの歌にある、などと言って
書き足したそれを提出する
(なんと、狡猾な!)
落胆の小町が悄然と辞去しようとすると
ジャッジの貫之が呼び止めて
小町が言うようにその万葉集を水で洗うことを許す
すると、だ
書いて間もない墨字だから
書き足した歌だけが流れて消えた
黒主の策略が白日に晒された瞬間である
が、凄いのは小町だ
これこそ歌の霊力と感嘆し
舞いまで舞って自害しようとする黒主を許すーー

「草子洗小町」の現代性~「能」とは許し


盗聴、策略……
これは実力の無さを悟っている男による仕業で
まさに「ゲスの極み」のような存在だが
それにしても能が
明日をも知れぬ戦乱と天災の世における「カタルシス劇」として機能していたか、ということが分かる
そういう意味では
相方の頭を引っぱたいたり他人をディずる俗悪バラエティーなんかより
どれほど貴重な宝であるか
先日6日、「仁徳天皇陵」を含む百舌古市古墳群が「世界自然遺産」に登録となったが
能楽は第一回の「世界無形遺産」になっている
2001年のことだ
能公演に行くと
必ず外国人の姿を目にする
いやぁ
あの能管と鼓による歌舞
クセナキスもシュトゥックハウゼンも創れない
(真似は出来るとしてもね)
奇怪・妖艶・幽玄なサウンドスケープは
能でしか味わえぬ異界である
(だから、あんな台詞回しでもあるのだろう)
そこでのみ
現世の苦悩は癒やされるのだ
もちろん
小町が与えた許しも
そうなのだ
「許し」こそ、きっと
幸福の泉なのかも知れない

私はだから
全然許せてないゆえ
かくも苦しいのだろう
「生きる」ちいうのは
「許し」の旅なんだろうね
難儀、難儀。。。

 七夕や会えるとすれば「cafe涅槃」


【関連動画】世阿弥作 謡曲『花筐(一部)』→YouTubeチャンネル「ひとりぼっちの朗読会」By POETAQ



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