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【二百年前の強き日本で候】本日2月18日「異国船打払令」発令日(文政八年 1825年)/What Guts! “The Edict to Repel Foreign Ships”(1825)

 ちょうど二百年前の今日、1825年の2月18日、 文政の「異国船打払令」、いわゆる「無二念打払令」が発令された。 その強きな姿勢に、初めて正式文書を読んだ私はいささか驚いたと同時に、逞しさを覚えた。 現代日本と「何たる違いだ!」と。  尤も、この後から情勢は急変、開国へと向かうわけだが、「いうべきことは言う」といった当時の幕府のポリシーと心意気が頼もしくうかがえる。まさに、武士道である。  ああ、しかし、今やそれも遠い過去となってしまったのか。。。  一縷の希望?を託したシャッフル・ビート(朗読)をお楽しみください。 Exactly two hundred years ago today, on February 18, 1825, the Edict to Repel Foreign Ships, also known as the No-Second-Thoughts Repel Order, was issued during the Bunsei era. When I read the official document for the first time, I was both surprised by its resolute stance and impressed by its boldness. I couldn’t help but think, "How different this is from Japan today!" Of course, the situation changed rapidly after this, eventually leading to the opening of the country. However, the shogunate’s policy and spirit at that time — one of “saying what must be said” — left me feeling reassured and inspired. This was truly the essence of Bushido. And yet... has all of that become nothing more than a distant memory? Please...

古賀政男の命日に寄せて




 昨日は芥川の命日だったが、本日7月25日は古賀政男の命日だそうだ。「ラジオ深夜便」の3時台の特集で知った。1978年のきょう、享年74才。彼の詳細は、こちらからどうぞ→「古賀政男」Wikipedia

 古賀政男にまつわる思い出がある。それは私が7、8才だったろうか。音楽好きだった父親(職場の音楽クラブでアルトサックスなんぞを吹いていたらしい)が凝り性というか、コレクション・マニアで、当時はカセットテープを大量に所有していた。幼少の私はそれらが父にとってどれほどの宝であるか知る由もない。だから、なぜか早くもNHKラジオの「基礎英語」を愛聴していたインドア少年は、四角い缶箱に収められていたカセットを、録音防止のツメが折られてなかったのをさいわい、エア・チャック用に全巻使ってしまったのである。埃をかぶった人形ケースに上に置かれていたから、てっきり聴かないものだろう、と勝手に判断したのである。カセットはどれも鉛筆で「古賀政男」と書かれていた。

 が、もちろん、日が経ってから、発覚した。殴られてはしなかったが、叱責を食らった。(殴られるのは、母をクソババー呼ばわりした時だけだった)英語は理解できないはずなのに、なぜかラジオをよく聴いていた。長じて英文を専攻することになるが、喋ることは出来ないから、所詮、似非ものである。ガキの分際で、ひとと違うことがしたかっただけなのかも知れない。

 喋れないが、ネットラジオは「WNYC」というニューヨーク拠点の公共ラジオを夜伽がわりに聴いている。「NewYorker」という雑誌の小説や詩の朗読番組もポッドキャストでたまに聴く。聴くだけで、理解は出来ないが、夜と昼が反対の時刻に、地球の裏側で人が生きていると想像すると、何だか不思議な感覚に包まれる。「自分はなぜ日本人なのだろう」「なぜアメリカで生まれなかったのだろう」…。

 古賀政男から話が逸れてしまった。申し訳ないが、また新たな朗読動画を作り始めていて、それを明後日までに仕上げねばならない。乱筆乱文、お許しを。

 現在、西日本新聞で演劇評論家・梁木靖弘氏が「遠く呼ぶのは誰の声 古賀政男と近代ニッポン」という評論を書かれている。7月2日付けに、軍歌や応援歌を手がけた古関裕而と、泣きのギターの古賀政男との対比が論じられていて興味深かった。勇壮でリズミックな西欧音楽より、たわみ・くねり・破調するところが日本人の心のあり様。ならば、古くはギリシヤに発するデモクラシーなんぞ、極東の「令和」の民にはやはり合わないのではないか、、、などと考えてしまう選挙明けでございます。。。
 

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