スキップしてメイン コンテンツに移動

注目

【クリスマスは孔雀の聖歌で〜W.B.イェイツ「孔雀」】A poetry chant for Christmas Eve. “The Peacock” by W. B. Yeats

  本日はクリスマスイブ。七面鳥がふさわしいところだが、父親の県展入選の写真を使わせてもらうことにして、孔雀でお許しください。真っ白の羽の孔雀だが、動画制作中、彩色の誘惑に駆られ、ヴィジュアルに傾いてしまった。まあ、クリスマスでもあるし、美を意識してのこととご勘弁ください。 戦後80年も、残すところ一週間。戦闘機の代わりに「熊」が襲来する一年だった。来年こそ、まともな年になりますように。。。    動画の詩「孔雀」は、W .B.イエーツ、中期の詩集「レスポンシビリティーズ」所収。世俗的な富より美こそ、と謳う。グレゴリオ聖歌などとても歌えないが、たまには美しいものを、と原文の美麗さに乗って口ずさんだもの。お気に召していただければ幸い。  Today is Christmas Eve.  A turkey would be more appropriate, perhaps, but instead I have borrowed a photograph by my father—one that was once selected for a prefectural exhibition—and ask your forgiveness for presenting a peacock instead. This peacock, with its pure white feathers, was meant to remain unadorned. Yet during the process of making the video, I found myself tempted by color, and the work gradually leaned toward the visual. Since it is Christmas, I hope you will allow this indulgence as an offering to beauty.  Eighty years since the end of the war, with only one week left in the year. It has been a year in which “bears,” rather than fighter jets, came ru...

古賀政男の命日に寄せて




 昨日は芥川の命日だったが、本日7月25日は古賀政男の命日だそうだ。「ラジオ深夜便」の3時台の特集で知った。1978年のきょう、享年74才。彼の詳細は、こちらからどうぞ→「古賀政男」Wikipedia

 古賀政男にまつわる思い出がある。それは私が7、8才だったろうか。音楽好きだった父親(職場の音楽クラブでアルトサックスなんぞを吹いていたらしい)が凝り性というか、コレクション・マニアで、当時はカセットテープを大量に所有していた。幼少の私はそれらが父にとってどれほどの宝であるか知る由もない。だから、なぜか早くもNHKラジオの「基礎英語」を愛聴していたインドア少年は、四角い缶箱に収められていたカセットを、録音防止のツメが折られてなかったのをさいわい、エア・チャック用に全巻使ってしまったのである。埃をかぶった人形ケースに上に置かれていたから、てっきり聴かないものだろう、と勝手に判断したのである。カセットはどれも鉛筆で「古賀政男」と書かれていた。

 が、もちろん、日が経ってから、発覚した。殴られてはしなかったが、叱責を食らった。(殴られるのは、母をクソババー呼ばわりした時だけだった)英語は理解できないはずなのに、なぜかラジオをよく聴いていた。長じて英文を専攻することになるが、喋ることは出来ないから、所詮、似非ものである。ガキの分際で、ひとと違うことがしたかっただけなのかも知れない。

 喋れないが、ネットラジオは「WNYC」というニューヨーク拠点の公共ラジオを夜伽がわりに聴いている。「NewYorker」という雑誌の小説や詩の朗読番組もポッドキャストでたまに聴く。聴くだけで、理解は出来ないが、夜と昼が反対の時刻に、地球の裏側で人が生きていると想像すると、何だか不思議な感覚に包まれる。「自分はなぜ日本人なのだろう」「なぜアメリカで生まれなかったのだろう」…。

 古賀政男から話が逸れてしまった。申し訳ないが、また新たな朗読動画を作り始めていて、それを明後日までに仕上げねばならない。乱筆乱文、お許しを。

 現在、西日本新聞で演劇評論家・梁木靖弘氏が「遠く呼ぶのは誰の声 古賀政男と近代ニッポン」という評論を書かれている。7月2日付けに、軍歌や応援歌を手がけた古関裕而と、泣きのギターの古賀政男との対比が論じられていて興味深かった。勇壮でリズミックな西欧音楽より、たわみ・くねり・破調するところが日本人の心のあり様。ならば、古くはギリシヤに発するデモクラシーなんぞ、極東の「令和」の民にはやはり合わないのではないか、、、などと考えてしまう選挙明けでございます。。。
 

コメント