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祝🐍巳年 切り絵動画 ヤマタノオロチ  Happy New Year of Snake Recitation Film"Kojiki (Ancient Japanese Legends),Yamatano-orochi-The Eight-Headed Serpent"" 

  昨年末、突然、腰痛に見舞われた。慣れぬ庭作業で歩行困難に。起床時などは着替えさえ出来なかった。それが始まったのが、ちょうどこの朗読動画に着手した頃である。 「蛇(オロチ)が降りてきた!」  これは退治せねば、と、三週間の格闘と度重なる「書き出し失敗」の末、完成したのが正月二日だった。お陰で、現在はなんとか歩けるまでに痛みは緩和している。悠久の魂魄が息づく神話と対峙するのは容易でない。恐るべし「言霊」である。 At the end of last year, I was suddenly struck by lower back pain. Unfamiliar garden work left me unable to walk. At times, like when getting up in the morning, I couldn’t even get dressed. This all began right around the time I started working on this reading video. “The serpent (Orochi) has descended!” I thought, I must vanquish it. After three weeks of struggle and countless "export failures," I finally completed it on January 2nd. Thanks to that, the pain has now eased to the point where I can walk somehow. Facing myths where eternal spirits reside is no easy task. The power of "kotodama" (the spirit of words) is truly fearsome. 太鼓朗読 古事記「八俣の大蛇」 Taiko Recitation: Kojiki "Yamata no Orochi–The 8-Headed Serpent" JPN Read/ENG Subs

朝ウォーカーの5つのタイプ



加齢と緑内障の進行で
めっきり眩しさがつらくなって久しい
「ああ、よく寝た」とカーテンを開け
部屋の電灯をつけるというのは
常人にとってごくごく普通の営みだが
眼病者にはそれが仇となる
急な光を浴びた目は
どうかすると二、三日疼いて
読書はもちろん、PCもスマホも見られなくなる
頭痛でなにも出来なくなるのだ
それで
四、五年前から日の出前の薄明のもと
光順応のために朝散歩をするようになった
それが嫌で嫌でたまらない

仕事のためには已を得ず続けている
きょうはその嫌で嫌でたまらぬ散歩がらみの論考をーー。

今の時季、日の出が早いから5時前に出るが
往往にして、同じ時刻・同じ地点でスレ違う人がいる
そのたび、人間嫌いの私は眉を顰める
声を掛けられたくないものだから
(別に咎め立てされるような疚しいことはしていないが)
ラジオのヘッドホンを
敢えて両手で押さえてリスニングに集中している振りをする
それでも、夫婦だったり、時にはマラソン・ランナーまで
「おはようございます!」と
いかにも爽やかな声で挨拶してくる
実に鬱陶しい!
私はそのたびそっぽを向き心に訴える

「あなた(たち)、こうしてスレ違うたびに
誰彼構わず挨拶するなら
昼も夜も
街中でもショッピング・センターでも
スレ違う人間全てに挨拶しろ!」とーー
彼らは大きな誤解をしているらしい
朝散歩の人間が全て、自分らと同様に元気溌剌なのだ、と
そこで
この四、五年の観察を通して
朝散歩者に以下のタイプが存在することを知った

①挨拶強制タイプ

やたら元気で、挨拶したら挨拶を返すまで、さながら勝負のごとく毎回挨拶を押し付けばましく発してくる。(やめて欲しい)

②時間ぴったりタイプ

さながらカント先生のごとく、決まった時刻、決まった地点でスレ違う。①と並存することが多い。(この規則正しさにもイライラさせられる)

③うつむきタイプ

お互い視線も挨拶も交さずスレ違うから気ラクである。(ただ、存在は知られているようだから、余りいい気持ちはしない)


④ガン付けタイプ

じ〜っとこちらを睨んでくる。スレ違い後も、わざわざ振り向いてまで睨み続ける。

⑤リハビリ・タイプ

私である。心臓も弱っているから、お能の稽古のつもりで摺り足で歩くこともある。

最近とみに衰えを感じるようになったせいか、もはや「元気」を被る体力・気力を失っている。「希望」を持つことも然りだ。今や、尾崎一雄ではないが、畳に這いずるダニを愛でるような老境である。いや。そこまで行っているなら、ブログだのツイッターだの書きはしない。まだ野心の熾が燻っている。それが、また、苦しみを煽るのだ。妄想屋にとって、この世は地獄より地獄である。




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