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注目

【白秋はロックな詩人〜北原白秋「邪宗門秘曲(ロック)」】

  北原白秋、と聞くと、真っ先に童謡のイメージを抱く。しかも、金子みすゞと並んで教科書に載るような実に優等生的名作ばかりで、荒みきった小生には退屈で仕方ない。だから、長い間ノータッチだったのだが、ふと「邪宗門」という言葉に引っかかるところがあり、「青空文庫」を閲覧してみて仰天した。かくもキレキレの白秋にお目にかかるのは、遅まきながら初めてだったのだ。童謡のイメージが見事に粉砕された瞬間だった。と同時に、ロックビートが耳に蘇ってきて、それで朗誦することにした。詩人の若き時は、なぜこうも尖っているのだろう。歳を取り名声や勲章を手にすると、鋭さはなまってしまうのか。政治にしろ芸術にしろ、「みんなに愛される」のは、結局「誰にも愛されない」ことか。「嫌われ者」が理想?  When I hear the name Kitahara Hakushu, the first thing that comes to mind is children’s songs. And not just any children’s songs, but those impeccably “model-student” masterpieces that seem to belong in school textbooks alongside the poems of Kaneko Misuzu. For a jaded fellow like myself, they were simply too wholesome to be interesting.  So for a long time, I left Kitahara completely untouched. But one day, the word Jashūmon somehow caught my attention. I looked it up on Aozora Bunko—and was astonished.  This was the first time, late though it may have been, that I had encountered such a sharp-edged, dazzlingly intense Hakushū. In that moment, my image...

朝ウォーカーの5つのタイプ



加齢と緑内障の進行で
めっきり眩しさがつらくなって久しい
「ああ、よく寝た」とカーテンを開け
部屋の電灯をつけるというのは
常人にとってごくごく普通の営みだが
眼病者にはそれが仇となる
急な光を浴びた目は
どうかすると二、三日疼いて
読書はもちろん、PCもスマホも見られなくなる
頭痛でなにも出来なくなるのだ
それで
四、五年前から日の出前の薄明のもと
光順応のために朝散歩をするようになった
それが嫌で嫌でたまらない

仕事のためには已を得ず続けている
きょうはその嫌で嫌でたまらぬ散歩がらみの論考をーー。

今の時季、日の出が早いから5時前に出るが
往往にして、同じ時刻・同じ地点でスレ違う人がいる
そのたび、人間嫌いの私は眉を顰める
声を掛けられたくないものだから
(別に咎め立てされるような疚しいことはしていないが)
ラジオのヘッドホンを
敢えて両手で押さえてリスニングに集中している振りをする
それでも、夫婦だったり、時にはマラソン・ランナーまで
「おはようございます!」と
いかにも爽やかな声で挨拶してくる
実に鬱陶しい!
私はそのたびそっぽを向き心に訴える

「あなた(たち)、こうしてスレ違うたびに
誰彼構わず挨拶するなら
昼も夜も
街中でもショッピング・センターでも
スレ違う人間全てに挨拶しろ!」とーー
彼らは大きな誤解をしているらしい
朝散歩の人間が全て、自分らと同様に元気溌剌なのだ、と
そこで
この四、五年の観察を通して
朝散歩者に以下のタイプが存在することを知った

①挨拶強制タイプ

やたら元気で、挨拶したら挨拶を返すまで、さながら勝負のごとく毎回挨拶を押し付けばましく発してくる。(やめて欲しい)

②時間ぴったりタイプ

さながらカント先生のごとく、決まった時刻、決まった地点でスレ違う。①と並存することが多い。(この規則正しさにもイライラさせられる)

③うつむきタイプ

お互い視線も挨拶も交さずスレ違うから気ラクである。(ただ、存在は知られているようだから、余りいい気持ちはしない)


④ガン付けタイプ

じ〜っとこちらを睨んでくる。スレ違い後も、わざわざ振り向いてまで睨み続ける。

⑤リハビリ・タイプ

私である。心臓も弱っているから、お能の稽古のつもりで摺り足で歩くこともある。

最近とみに衰えを感じるようになったせいか、もはや「元気」を被る体力・気力を失っている。「希望」を持つことも然りだ。今や、尾崎一雄ではないが、畳に這いずるダニを愛でるような老境である。いや。そこまで行っているなら、ブログだのツイッターだの書きはしない。まだ野心の熾が燻っている。それが、また、苦しみを煽るのだ。妄想屋にとって、この世は地獄より地獄である。




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