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【文語のエロティシズム】〜蒲原有明『有明集』から「愛欲の詩 四篇」を。

  文語(明治期)の色気を求めて土井晩翠から探索を始めたが、「詩人」のバロディーが浮かんだだけで、格調高いがエロティシズムは残念ながら見出せず、続く詩人として「蒲原有明」を読んでみた。  複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として、『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。   蒲原有明(Wikipedia)  死とエロスの香り漂う「われ迷ふ」を作曲してみたが歌で終わるのが物足りなく、朗読することに。  文語の色気をご堪能あれ。 **The Eroticism of Literary Japanese** — Four Poems of Desire from Kambara Ariake’s *Ariake-shū* In search of the sensuality of Meiji-period literary Japanese, the exploration began with Doi Bansui. But aside from the parody “The Poet,” what emerged was grandeur and dignity rather than eroticism. So the search moved on to Kambara Ariake, one of the major poets who emerged after Doi Bansui. A Symbolist poet known for his intricate vocabulary and rhythms, Ariake published such collections as *Dokugen Aika*, *Shunchōshū*, and *Ariake-shū*. Often mentioned alongside Susukida Kyūkin, he went on to influence poets including Kitahara Hakushū and Miki Rofū. from "Kambara Ariake (Wikipedia)"  蒲原有明(Wikipedia) A musical setting was first made f...

朝ウォーカーの5つのタイプ



加齢と緑内障の進行で
めっきり眩しさがつらくなって久しい
「ああ、よく寝た」とカーテンを開け
部屋の電灯をつけるというのは
常人にとってごくごく普通の営みだが
眼病者にはそれが仇となる
急な光を浴びた目は
どうかすると二、三日疼いて
読書はもちろん、PCもスマホも見られなくなる
頭痛でなにも出来なくなるのだ
それで
四、五年前から日の出前の薄明のもと
光順応のために朝散歩をするようになった
それが嫌で嫌でたまらない
が
仕事のためには已を得ず続けている
きょうはその嫌で嫌でたまらぬ散歩がらみの論考をーー。

今の時季、日の出が早いから5時前に出るが
往往にして、同じ時刻・同じ地点でスレ違う人がいる
そのたび、人間嫌いの私は眉を顰める
声を掛けられたくないものだから
(別に咎め立てされるような疚しいことはしていないが)
ラジオのヘッドホンを
敢えて両手で押さえてリスニングに集中している振りをする
それでも、夫婦だったり、時にはマラソン・ランナーまで
「おはようございます!」と
いかにも爽やかな声で挨拶してくる
実に鬱陶しい!
私はそのたびそっぽを向き心に訴える

「あなた(たち)、こうしてスレ違うたびに
誰彼構わず挨拶するなら
昼も夜も
街中でもショッピング・センターでも
スレ違う人間全てに挨拶しろ!」とーー
彼らは大きな誤解をしているらしい
朝散歩の人間が全て、自分らと同様に元気溌剌なのだ、と
そこで
この四、五年の観察を通して
朝散歩者に以下のタイプが存在することを知った

①挨拶強制タイプ

やたら元気で、挨拶したら挨拶を返すまで、さながら勝負のごとく毎回挨拶を押し付けばましく発してくる。(やめて欲しい)

②時間ぴったりタイプ

さながらカント先生のごとく、決まった時刻、決まった地点でスレ違う。①と並存することが多い。(この規則正しさにもイライラさせられる)

③うつむきタイプ

お互い視線も挨拶も交さずスレ違うから気ラクである。(ただ、存在は知られているようだから、余りいい気持ちはしない)


④ガン付けタイプ

じ〜っとこちらを睨んでくる。スレ違い後も、わざわざ振り向いてまで睨み続ける。

⑤リハビリ・タイプ

私である。心臓も弱っているから、お能の稽古のつもりで摺り足で歩くこともある。

最近とみに衰えを感じるようになったせいか、もはや「元気」を被る体力・気力を失っている。「希望」を持つことも然りだ。今や、尾崎一雄ではないが、畳に這いずるダニを愛でるような老境である。いや。そこまで行っているなら、ブログだのツイッターだの書きはしない。まだ野心の熾が燻っている。それが、また、苦しみを煽るのだ。妄想屋にとって、この世は地獄より地獄である。




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