加齢と緑内障の進行で
めっきり眩しさがつらくなって久しい
「ああ、よく寝た」とカーテンを開け
部屋の電灯をつけるというのは
常人にとってごくごく普通の営みだが
眼病者にはそれが仇となる
急な光を浴びた目は
どうかすると二、三日疼いて
読書はもちろん、PCもスマホも見られなくなる
頭痛でなにも出来なくなるのだ
それで
四、五年前から日の出前の薄明のもと
光順応のために朝散歩をするようになった
それが嫌で嫌でたまらない
が
仕事のためには已を得ず続けている
きょうはその嫌で嫌でたまらぬ散歩がらみの論考をーー。
今の時季、日の出が早いから5時前に出るが
往往にして、同じ時刻・同じ地点でスレ違う人がいる
そのたび、人間嫌いの私は眉を顰める
声を掛けられたくないものだから
(別に咎め立てされるような疚しいことはしていないが)
ラジオのヘッドホンを
敢えて両手で押さえてリスニングに集中している振りをする
それでも、夫婦だったり、時にはマラソン・ランナーまで
「おはようございます!」と
いかにも爽やかな声で挨拶してくる
実に鬱陶しい!
私はそのたびそっぽを向き心に訴える
「あなた(たち)、こうしてスレ違うたびに
誰彼構わず挨拶するなら
昼も夜も
街中でもショッピング・センターでも
スレ違う人間全てに挨拶しろ!」とーー
彼らは大きな誤解をしているらしい
朝散歩の人間が全て、自分らと同様に元気溌剌なのだ、と
そこで
この四、五年の観察を通して
朝散歩者に以下のタイプが存在することを知った
①挨拶強制タイプ
やたら元気で、挨拶したら挨拶を返すまで、さながら勝負のごとく毎回挨拶を押し付けばましく発してくる。(やめて欲しい)
②時間ぴったりタイプ
さながらカント先生のごとく、決まった時刻、決まった地点でスレ違う。①と並存することが多い。(この規則正しさにもイライラさせられる)
③うつむきタイプ
お互い視線も挨拶も交さずスレ違うから気ラクである。(ただ、存在は知られているようだから、余りいい気持ちはしない)
④ガン付けタイプ
じ〜っとこちらを睨んでくる。スレ違い後も、わざわざ振り向いてまで睨み続ける。
⑤リハビリ・タイプ
私である。心臓も弱っているから、お能の稽古のつもりで摺り足で歩くこともある。
最近とみに衰えを感じるようになったせいか、もはや「元気」を被る体力・気力を失っている。「希望」を持つことも然りだ。今や、尾崎一雄ではないが、畳に這いずるダニを愛でるような老境である。いや。そこまで行っているなら、ブログだのツイッターだの書きはしない。まだ野心の熾が燻っている。それが、また、苦しみを煽るのだ。妄想屋にとって、この世は地獄より地獄である。
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