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注目

【狂言小唄】『笑いの呪文』(超絶誤訳・音声変換)原作:ヴェリミール・フレーブニコフ

  我が国は西側陣営なので、ロシアの情報はなかなか入ってこない。いや、「敵側」のフィルターがかったものばかり、という印象だ。大昔、成人祝いに『ドストエフスキー全集』を古書で買おうとしたほどのロシア文学ファンである小生は、そこで、ロシア詩でも朗読してみるか、と調べるなかで出会ったのがヴェリミール・フレーブニコフの『笑いの呪文』だった。  しかし、学生時代、せいぜいドイツ語を第二外国語として学んだだけの小生には、ロシア語の音読などハードが高過ぎる。それでもアプリ再生で練習を重ねるうちに、「超絶誤訳・音声変換」で読むことを思い付いた。難しいロシア語発音を日本語に当てて、忠実な翻訳ではない、全く別の詩作を試みることにしたのである。折りしもイラン戦争中で、そんな情勢にも触発を受けることとなった。  狂言風に詠んでみた。(謳ってみた)。もともと「笑いの呪文」だけに、狂言が合っていると思った。動画は映像を添えられるので、言葉と絵のコラボが互いの「語られない部分」を補ってくれる。そのギャップが際立つものが出来たと思う。  As our country belongs to the Western bloc, information from Russia is not easily accessible. Or rather, much of what we receive feels filtered through the lens of an “enemy.” As someone who has long been fond of Russian literature—so much so that I once considered buying a second-hand complete works of Fyodor Dostoevsky as a coming-of-age gift—I found myself wondering if I might try reading Russian poetry aloud. It was in that process that I encountered Velimir Khlebnikov’s "Incantation by Laughter."  However, having studie...

シンクロニシティ(詩歌の奇蹟)

ダンスはうまく踊れない?(チラシは平成30年2月16日 大槻能楽堂での公演分)

今日は二つ、詩歌にまつわるシンクロ(共時性)を体験した
一つは朝の散歩中にバラを見かけた

可憐な赤が目に飛び込んでシャッターを切ったのだった
帰宅後、積ん読状態だった『ヘルダーリン詩集』に目を通していると
三箇所も「薔薇」という字に出くわした

一、愛の星は君のためには沈んでしまったのか
  若い日のやさしい薔薇色の輝きは
  (「ギリシャ」)

二、夕空に春は花ひらき
  数限りなく薔薇は咲き おだやかに
  金色の世界は光を放つ。
  (「夕べの幻想」)

三、私も昔は幸福だったが つつましい生は
  薔薇のように移ろいやすい。
 (「わが持分」)


偶然と言えば偶然だろうが
日常と文学の重なりが私の場合しばしば起こる
そして、ぞっとする
「ヤだなぁ」との予感がする時に限って
当人と出くわすといったこともある
無意識に求めている、ということだろうか
現実もフィクションも根底で繋がっているということ?
徒然草の有名な一節に
「ひとり灯のもとに文をひろげて、
見ぬ世の人を友とするぞ、
こよのう慰むわざなる」とあるように
文学は時空を超えて著者と友になれる
おお
これはさすがにナマコには出来ぬ芸当
こういう時だけだ
人間として生まれて良かった、と思うのはーー

さて
小生、情報収集も兼ねてツイッターをやっているのだが
なにげなく見ていると
先日、井上陽水英訳について書いたロバート・キャンベル教授が
出張先のパリの風景をホテルの窓から動画撮影されているのを見
ふと思い立った
教授はかつて九大でも教鞭を取られていて
小生もその郊外在住ということで
ご専門の古典の一つ、小生が謳い制作したお能『花筐』のリンクを貼り
教授の動画に厚かましくも自己紹介がてら返信を送ったのだった
もとよりご多忙な先生であられる
一介の地方詩人の唐突な挨拶など当然スルーされると思っていた矢先
通知が来た
開くと、驚いたことに教授からではないか!
しかも、そこにはこう書かれていた

「偶然ですが狂女物「花筐」のこと、「ダンスはうまく踊れない」について考える材料として#井上陽水英訳詞集 に触れています。ありがとうございます!」ーー
ツイッター 2019年6月13日 )

恥ずかしながら、注文していた『英訳』は、まだ私の手元には届いてなかった。それを知らず、『花筐』動画のリンクを貼った。それを、先生は書き出しに「偶然ですが」としたためられていた。さすが、古典学者である。世阿弥に名作を読み込まれ、それを陽水の英訳に活かされた、とのこと。おお、世阿弥と陽水。まさに徒然草の世界の体現。詩歌芸術は時空を超えて、人の心を一瞬にして結ぶ。(ナマコには出来ない!)

職を転々として、人と出くわすたび「なにやってんの?」「仕事は?仕事は?」と咎められる漂流者の、唯一、続いている創作。それを奪われたら生存価値のない小生にとって、これほど「生きててよかった」と思える奇蹟はない。ひいひい喘ぎながら制作した労苦が報われた一日だった。。。


【引用文献】『ヘルダーリン詩集』(川村二郎訳 岩波文庫)
      謡曲『花筐』(Youtubeチャンネル「ひとりぼっちの朗読会」)







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