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注目

【白秋はロックな詩人〜北原白秋「邪宗門秘曲(ロック)」】

  北原白秋、と聞くと、真っ先に童謡のイメージを抱く。しかも、金子みすゞと並んで教科書に載るような実に優等生的名作ばかりで、荒みきった小生には退屈で仕方ない。だから、長い間ノータッチだったのだが、ふと「邪宗門」という言葉に引っかかるところがあり、「青空文庫」を閲覧してみて仰天した。かくもキレキレの白秋にお目にかかるのは、遅まきながら初めてだったのだ。童謡のイメージが見事に粉砕された瞬間だった。と同時に、ロックビートが耳に蘇ってきて、それで朗誦することにした。詩人の若き時は、なぜこうも尖っているのだろう。歳を取り名声や勲章を手にすると、鋭さはなまってしまうのか。政治にしろ芸術にしろ、「みんなに愛される」のは、結局「誰にも愛されない」ことか。「嫌われ者」が理想?  When I hear the name Kitahara Hakushu, the first thing that comes to mind is children’s songs. And not just any children’s songs, but those impeccably “model-student” masterpieces that seem to belong in school textbooks alongside the poems of Kaneko Misuzu. For a jaded fellow like myself, they were simply too wholesome to be interesting.  So for a long time, I left Kitahara completely untouched. But one day, the word Jashūmon somehow caught my attention. I looked it up on Aozora Bunko—and was astonished.  This was the first time, late though it may have been, that I had encountered such a sharp-edged, dazzlingly intense Hakushū. In that moment, my image...

シンクロニシティ(詩歌の奇蹟)

ダンスはうまく踊れない?(チラシは平成30年2月16日 大槻能楽堂での公演分)

今日は二つ、詩歌にまつわるシンクロ(共時性)を体験した
一つは朝の散歩中にバラを見かけた

可憐な赤が目に飛び込んでシャッターを切ったのだった
帰宅後、積ん読状態だった『ヘルダーリン詩集』に目を通していると
三箇所も「薔薇」という字に出くわした

一、愛の星は君のためには沈んでしまったのか
  若い日のやさしい薔薇色の輝きは
  (「ギリシャ」)

二、夕空に春は花ひらき
  数限りなく薔薇は咲き おだやかに
  金色の世界は光を放つ。
  (「夕べの幻想」)

三、私も昔は幸福だったが つつましい生は
  薔薇のように移ろいやすい。
 (「わが持分」)


偶然と言えば偶然だろうが
日常と文学の重なりが私の場合しばしば起こる
そして、ぞっとする
「ヤだなぁ」との予感がする時に限って
当人と出くわすといったこともある
無意識に求めている、ということだろうか
現実もフィクションも根底で繋がっているということ?
徒然草の有名な一節に
「ひとり灯のもとに文をひろげて、
見ぬ世の人を友とするぞ、
こよのう慰むわざなる」とあるように
文学は時空を超えて著者と友になれる
おお
これはさすがにナマコには出来ぬ芸当
こういう時だけだ
人間として生まれて良かった、と思うのはーー

さて
小生、情報収集も兼ねてツイッターをやっているのだが
なにげなく見ていると
先日、井上陽水英訳について書いたロバート・キャンベル教授が
出張先のパリの風景をホテルの窓から動画撮影されているのを見
ふと思い立った
教授はかつて九大でも教鞭を取られていて
小生もその郊外在住ということで
ご専門の古典の一つ、小生が謳い制作したお能『花筐』のリンクを貼り
教授の動画に厚かましくも自己紹介がてら返信を送ったのだった
もとよりご多忙な先生であられる
一介の地方詩人の唐突な挨拶など当然スルーされると思っていた矢先
通知が来た
開くと、驚いたことに教授からではないか!
しかも、そこにはこう書かれていた

「偶然ですが狂女物「花筐」のこと、「ダンスはうまく踊れない」について考える材料として#井上陽水英訳詞集 に触れています。ありがとうございます!」ーー
ツイッター 2019年6月13日 )

恥ずかしながら、注文していた『英訳』は、まだ私の手元には届いてなかった。それを知らず、『花筐』動画のリンクを貼った。それを、先生は書き出しに「偶然ですが」としたためられていた。さすが、古典学者である。世阿弥に名作を読み込まれ、それを陽水の英訳に活かされた、とのこと。おお、世阿弥と陽水。まさに徒然草の世界の体現。詩歌芸術は時空を超えて、人の心を一瞬にして結ぶ。(ナマコには出来ない!)

職を転々として、人と出くわすたび「なにやってんの?」「仕事は?仕事は?」と咎められる漂流者の、唯一、続いている創作。それを奪われたら生存価値のない小生にとって、これほど「生きててよかった」と思える奇蹟はない。ひいひい喘ぎながら制作した労苦が報われた一日だった。。。


【引用文献】『ヘルダーリン詩集』(川村二郎訳 岩波文庫)
      謡曲『花筐』(Youtubeチャンネル「ひとりぼっちの朗読会」)







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