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注目

【白秋はロックな詩人〜北原白秋「邪宗門秘曲(ロック)」】

  北原白秋、と聞くと、真っ先に童謡のイメージを抱く。しかも、金子みすゞと並んで教科書に載るような実に優等生的名作ばかりで、荒みきった小生には退屈で仕方ない。だから、長い間ノータッチだったのだが、ふと「邪宗門」という言葉に引っかかるところがあり、「青空文庫」を閲覧してみて仰天した。かくもキレキレの白秋にお目にかかるのは、遅まきながら初めてだったのだ。童謡のイメージが見事に粉砕された瞬間だった。と同時に、ロックビートが耳に蘇ってきて、それで朗誦することにした。詩人の若き時は、なぜこうも尖っているのだろう。歳を取り名声や勲章を手にすると、鋭さはなまってしまうのか。政治にしろ芸術にしろ、「みんなに愛される」のは、結局「誰にも愛されない」ことか。「嫌われ者」が理想?  When I hear the name Kitahara Hakushu, the first thing that comes to mind is children’s songs. And not just any children’s songs, but those impeccably “model-student” masterpieces that seem to belong in school textbooks alongside the poems of Kaneko Misuzu. For a jaded fellow like myself, they were simply too wholesome to be interesting.  So for a long time, I left Kitahara completely untouched. But one day, the word Jashūmon somehow caught my attention. I looked it up on Aozora Bunko—and was astonished.  This was the first time, late though it may have been, that I had encountered such a sharp-edged, dazzlingly intense Hakushū. In that moment, my image...

孤友の日(こどものひ)。

わたしは何を待っているのか
わたしはわたしを待っているのか
わたしはそれを釣り上げることが出来るだろうか
釣り上げたところで、果たして、それはしあわせだろうか
しあわせは水揚げされて、ぴしぴしとのたうち回り
やがてコロリと参ってしまう
それなら黙って見過ごしてあげたほうが
両者にとってしあわせなのではなかろうか

男と女の間には深くて暗い川が流れているらしいが
わたしとわたしの間にも
それと同様の川が流れているのではないか
船を漕いで垣間見る川面に
時折り美女が現れ
しばし幸福に浸る

しあわせはマーメイド
釣り上げることはない
「詩はただ病める魂の所有者と
孤独者との寂しい慰め」
なにも、三越や伊勢丹に行かずとも
Amazonや楽天で探さずとも
静かな孤りのうちに
煌めいていたりするのだーー

(萩原朔太郎の言葉を引用した)




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