スキップしてメイン コンテンツに移動

注目

【白秋はロックな詩人〜北原白秋「邪宗門秘曲(ロック)」】

  北原白秋、と聞くと、真っ先に童謡のイメージを抱く。しかも、金子みすゞと並んで教科書に載るような実に優等生的名作ばかりで、荒みきった小生には退屈で仕方ない。だから、長い間ノータッチだったのだが、ふと「邪宗門」という言葉に引っかかるところがあり、「青空文庫」を閲覧してみて仰天した。かくもキレキレの白秋にお目にかかるのは、遅まきながら初めてだったのだ。童謡のイメージが見事に粉砕された瞬間だった。と同時に、ロックビートが耳に蘇ってきて、それで朗誦することにした。詩人の若き時は、なぜこうも尖っているのだろう。歳を取り名声や勲章を手にすると、鋭さはなまってしまうのか。政治にしろ芸術にしろ、「みんなに愛される」のは、結局「誰にも愛されない」ことか。「嫌われ者」が理想?  When I hear the name Kitahara Hakushu, the first thing that comes to mind is children’s songs. And not just any children’s songs, but those impeccably “model-student” masterpieces that seem to belong in school textbooks alongside the poems of Kaneko Misuzu. For a jaded fellow like myself, they were simply too wholesome to be interesting.  So for a long time, I left Kitahara completely untouched. But one day, the word Jashūmon somehow caught my attention. I looked it up on Aozora Bunko—and was astonished.  This was the first time, late though it may have been, that I had encountered such a sharp-edged, dazzlingly intense Hakushū. In that moment, my image...

澁澤龍彦とマルキ・ド・サド


渋沢栄一の遠戚らしい文学者・澁澤龍彦。父親は銀行家だから、その血筋なのは確か。
いわゆる「サド裁判」で有罪。罰金7万というのがご不満だったらしい。。。

その裁判の原因となった訳書『悪徳の栄え』(澁澤龍彦 翻訳全集 5 河出書房新社)。マルキ・ド・サドの実体験らしい。だから、そのシーンはとてもとても感情移入困難なのだが、時折り、キラリと光る一節に出くわす。

「人間の幸福というものは、あたしたち自身の裡にこそ在るべきもの」
「宇宙は無限に力強く無限に巧妙な、ひとつの原因をあらわす人格をもっているのです」
「自然派人間の美しさを隠しておくために人間を創ったわけじゃないのだからね」

徹底的に自己に・自然に・宇宙に忠実に生きようとした怪物は、しかし、「不条理な幻影」と彼が唾棄する美徳や宗教によって囚われの身に。それを訳した、日本の古典(万葉集はもちろんのこと!)にも造詣深き博覧強記もまた、罪人となった。その訳書が余りにも美しく蠱惑的ゆえに。。。


コメント