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注目

【無意識と宇宙】唯識三十頌 Triṃśikā-vijñapti-mātratā (Thirty Verses on Consciousness Only)

  アインシュタインが「天才」と称した物理学者、ニコラ・テスラが説いたように、宇宙(万物)が周波数で出来ているとしたら、「読経」はその周波数を、その内容とともに発しているのだろうか。。。  ユングの集合的無意識のさらに奥を明かすらしい「唯識三十頌」を読誦してみた。宇宙に届くだろうか。。。 「唯識三十頌」 “Following Nikola Tesla—the physicist whom Einstein called a ‘genius’—if the universe (all things) is made of frequency, then perhaps chanting sutras releases those very frequencies along with the meanings they carry… I tried reciting Vasubandhu’s Thirty Verses on Consciousness-Only (Vijñaptimātratā-triṃśikā), which speaks of a stratum deeper than Jung’s collective unconscious—namely the ālayavijñāna. Will it reach the cosmos…?” Thirty Verses on Consciousness-Only (Vijñaptimātratā-triṃśikā) English Subtitles Version

ウサギの目 〜運命を想う

左目を打ってしまった。バス・マットで。
立てかけてあったそれを下ろそうとして左手で下ろそうとした瞬間だった。

眼鏡を外していたのと、慌てていたのと。

鉄板でも木板でもないから良かったものの、痛くて、鏡で見ると。


ショックだった。
私は朗読会やひとり芝居など、人前に出ることがある。
これでは醜くて、とても出られない。ホントに涙。。。

無数の「if(もし)」が頭を駆け巡る。
もし、慌てず、慎重に浴室へ入っていたら。。。
もし、当たったところが目でなく、頬だったら。。。
もし、白目でなく、黒目だったら。。。

3歳のとき、母と行ったスーパーでオシッコをしたくなり、店先の、道路を隔てた駐車場へ駆け出た。そこへ、自動車が走って来て、私はちょうど助手席のドアにぶつかった。
が、幼い子供の柔軟さだろうか、転んだものの、別に大怪我もせず、平然と用を足して母の元に戻った。もし、1秒でも早く飛び出していたら、私はボンネットに跳ね飛ばされ、死んでいただろう。。。

「もし」は数え上げればキリがない。
目を打って数時間経ったが、充血は去らない。去りそうにない。私はこの先、赤い左目のままだろう。

サルトル
ラフカディオ・ハーン
ヤニス・クセナキス 
皆、目に何らかの障がいを持っていた。
偉人を引き合いに出すのは甚だ不遜だが、揶揄や劣等感を覆す彼らの不撓不屈は見習うべきものがある。

なーんて、難しいことは置いといて、「見えてんだから、いいじゃないの」。
まあ、そういうことにしておこう。所詮、欠陥だらけの人生なんだし。。。

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