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【文語のエロティシズム】〜蒲原有明『有明集』から「愛欲の詩 四篇」を。

  文語(明治期)の色気を求めて土井晩翠から探索を始めたが、「詩人」のバロディーが浮かんだだけで、格調高いがエロティシズムは残念ながら見出せず、続く詩人として「蒲原有明」を読んでみた。  複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として、『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。   蒲原有明(Wikipedia)  死とエロスの香り漂う「われ迷ふ」を作曲してみたが歌で終わるのが物足りなく、朗読することに。  文語の色気をご堪能あれ。 **The Eroticism of Literary Japanese** — Four Poems of Desire from Kambara Ariake’s *Ariake-shū* In search of the sensuality of Meiji-period literary Japanese, the exploration began with Doi Bansui. But aside from the parody “The Poet,” what emerged was grandeur and dignity rather than eroticism. So the search moved on to Kambara Ariake, one of the major poets who emerged after Doi Bansui. A Symbolist poet known for his intricate vocabulary and rhythms, Ariake published such collections as *Dokugen Aika*, *Shunchōshū*, and *Ariake-shū*. Often mentioned alongside Susukida Kyūkin, he went on to influence poets including Kitahara Hakushū and Miki Rofū. from "Kambara Ariake (Wikipedia)"  蒲原有明(Wikipedia) A musical setting was first made f...

久々、読書。(辻潤を読む)


ダダイズムは、何よりも思想ではなく、実践であり、思考の運動だったはずである。そしてまた〈ダダは相対であることに絶対の価値を与える〉(「文学以外」)ものであるならば、つまり、ひとつところにとどまることなく、自己の居場所を相対化することで不断に移動しつづけることがダダイズムであるとするなら、千鳥足のように心もとない彼の散文の動きは、善意に解釈すれば、たしかにダダイズムの精神を体現しているとも言えるのである。(辻潤『絶望の書 ですぺら』辻潤エッセイ選 講談社学芸文庫 解説 めらんじゅ 武田信明 より抜粋)

 久し振りに文庫を手にする。このところ風邪だの動画制作だの、はたまた部屋の片付けだので落ち着いて「読書」など出来なかった。 眼痛もあった。
 世間は「新型ウイルス対策」とやらで休校措置が取られ、一般には外出を控えるよう政府発表があって、朝の散歩では珍しく誰ともすれ違わなかった。

 辻潤を開いた。若妻を精力絶倫なアナーキストに取られ、晩年は不遇なまま餓死したダダイスト。哀れと言えば哀れである。それが「朝型ながらネガティブ」な老毒詩人に何とも魅力的で(孤独心礼賛者なのだ!)、ざっと目を通した。

 うん。ご立派な弁舌の印象。理想家。博覧強記は驚くべき。だが、労働人ではない。稼げない。批評はするが大杉のごとき武闘派には与しない。老母と暮らす甲斐性なし。。。

 この小心な貧しき理屈屋を、しかし、私は愛する(威勢のいい輩は、ほっといてもモテるし、リッチなのだ。その後の凋落は別として。。。)。 同時代の朔太郎、その彼が敬愛する谷崎も揃って天才! そして、彼らは意外と「書く」。職人芸なのだ。プロなのだ。技を持っている。磨く。努力する。だから、残る。

 辻潤は日本人が大好きな「努力」を捨てた。「希望」を捨てた。生い立ちもさる事ながら、寝取られ人生である。そうならざるを得まい。まこと、お気の毒だが、正直、彼に「猫と太鼓腹」の図を見出すことなど出来ぬのだ。山頭火気取りに三度笠を翳す、頬こけした老醜がいかにも相応しい。。。

 いつか朗読するつもり。さして期待はしてない。昨日、作って投稿した「万葉集」(不倫がテーマの)が頗る低評価みたいだし???(それについては、後日、書くかも知れない?)

 しかし、だ。悲惨な最期を遂げたにもかかわらず 、昨秋に詩人が朗唱したように、出版され、こうして読み継がれているということ自体「奇跡」、と書一冊と物していない私なんぞは羨ましく思う。遠吠えであろうとなかろうと、その叫びが確実に誰かの耳(魂)に響いているのだから。もっとも、『蜘蛛の糸』一ページ開かずに平気でいられるなら別だが。

 朝に夜にテレビでcinemaうらめし屋


 ミューズが恨めしい人生である。。。

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