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【知恵こそ武器】ロック歌舞伎「勧進帳」  Wisdom Is the True Weapon — Rock Kabuki “Kanjinchō”

  かつて、戦争資料館の館長から聞いたエピソード。招集された市民が軍服を手渡され、着てみると小さく、交換を申し出ると「お前が軍服に合わせろ!」と怒鳴られたそうだ。  役所、役人というのはそういうものだろう。「勧進帳」(能「安宅」)は、そんな「人を肩に嵌めようとする権力」の計略を知恵で乗り切ろうとする痛快劇である。しかし、その機転と裁量は、ただ一日ぼうっと過ごして育まれるものではなかろう。権力の前で怯え、平伏し、従ってしまうのが常。だからこそ、弁慶のような智勇を兼ね備えた人物に、時代を超えた憧れを抱くのかも知れない。現代で言えば、大谷翔平だろうか。。。   「弁天小僧 菊之助」  に続くロック歌舞伎の第二弾。「大恩教主の秋の月」の季節ではないが、選挙が近いともあって、制作した「勧進帳」のように、投票用紙に自分の意見を書けば無効になる。「指定の名を」というのが権力側の意向。そこに民意が反映されるのか、、、いつもの疑問である。  Once, I heard an episode from the director of a war museum. Citizens who had been drafted were handed military uniforms. When one man tried his on, it was too small. He asked for a different size—and was shouted at: “Adjust yourself to the uniform!”  That, in essence, is how bureaucracies and officials tend to work.  Kanjinchō (from the Noh play Ataka ) is a rousing tale about overcoming exactly this kind of power—power that tries to force people to fit its mold—through wit and ingenuity. But such presence of mind and judgment are not cultivated by drifting through one’...

久々、読書。(辻潤を読む)


ダダイズムは、何よりも思想ではなく、実践であり、思考の運動だったはずである。そしてまた〈ダダは相対であることに絶対の価値を与える〉(「文学以外」)ものであるならば、つまり、ひとつところにとどまることなく、自己の居場所を相対化することで不断に移動しつづけることがダダイズムであるとするなら、千鳥足のように心もとない彼の散文の動きは、善意に解釈すれば、たしかにダダイズムの精神を体現しているとも言えるのである。(辻潤『絶望の書 ですぺら』辻潤エッセイ選 講談社学芸文庫 解説 めらんじゅ 武田信明 より抜粋)

 久し振りに文庫を手にする。このところ風邪だの動画制作だの、はたまた部屋の片付けだので落ち着いて「読書」など出来なかった。 眼痛もあった。
 世間は「新型ウイルス対策」とやらで休校措置が取られ、一般には外出を控えるよう政府発表があって、朝の散歩では珍しく誰ともすれ違わなかった。

 辻潤を開いた。若妻を精力絶倫なアナーキストに取られ、晩年は不遇なまま餓死したダダイスト。哀れと言えば哀れである。それが「朝型ながらネガティブ」な老毒詩人に何とも魅力的で(孤独心礼賛者なのだ!)、ざっと目を通した。

 うん。ご立派な弁舌の印象。理想家。博覧強記は驚くべき。だが、労働人ではない。稼げない。批評はするが大杉のごとき武闘派には与しない。老母と暮らす甲斐性なし。。。

 この小心な貧しき理屈屋を、しかし、私は愛する(威勢のいい輩は、ほっといてもモテるし、リッチなのだ。その後の凋落は別として。。。)。 同時代の朔太郎、その彼が敬愛する谷崎も揃って天才! そして、彼らは意外と「書く」。職人芸なのだ。プロなのだ。技を持っている。磨く。努力する。だから、残る。

 辻潤は日本人が大好きな「努力」を捨てた。「希望」を捨てた。生い立ちもさる事ながら、寝取られ人生である。そうならざるを得まい。まこと、お気の毒だが、正直、彼に「猫と太鼓腹」の図を見出すことなど出来ぬのだ。山頭火気取りに三度笠を翳す、頬こけした老醜がいかにも相応しい。。。

 いつか朗読するつもり。さして期待はしてない。昨日、作って投稿した「万葉集」(不倫がテーマの)が頗る低評価みたいだし???(それについては、後日、書くかも知れない?)

 しかし、だ。悲惨な最期を遂げたにもかかわらず 、昨秋に詩人が朗唱したように、出版され、こうして読み継がれているということ自体「奇跡」、と書一冊と物していない私なんぞは羨ましく思う。遠吠えであろうとなかろうと、その叫びが確実に誰かの耳(魂)に響いているのだから。もっとも、『蜘蛛の糸』一ページ開かずに平気でいられるなら別だが。

 朝に夜にテレビでcinemaうらめし屋


 ミューズが恨めしい人生である。。。

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