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【二百年前の強き日本で候】本日2月18日「異国船打払令」発令日(文政八年 1825年)/What Guts! “The Edict to Repel Foreign Ships”(1825)

 ちょうど二百年前の今日、1825年の2月18日、 文政の「異国船打払令」、いわゆる「無二念打払令」が発令された。 その強きな姿勢に、初めて正式文書を読んだ私はいささか驚いたと同時に、逞しさを覚えた。 現代日本と「何たる違いだ!」と。  尤も、この後から情勢は急変、開国へと向かうわけだが、「いうべきことは言う」といった当時の幕府のポリシーと心意気が頼もしくうかがえる。まさに、武士道である。  ああ、しかし、今やそれも遠い過去となってしまったのか。。。  一縷の希望?を託したシャッフル・ビート(朗読)をお楽しみください。 Exactly two hundred years ago today, on February 18, 1825, the Edict to Repel Foreign Ships, also known as the No-Second-Thoughts Repel Order, was issued during the Bunsei era. When I read the official document for the first time, I was both surprised by its resolute stance and impressed by its boldness. I couldn’t help but think, "How different this is from Japan today!" Of course, the situation changed rapidly after this, eventually leading to the opening of the country. However, the shogunate’s policy and spirit at that time — one of “saying what must be said” — left me feeling reassured and inspired. This was truly the essence of Bushido. And yet... has all of that become nothing more than a distant memory? Please...

紫陽花


湿らせてくれたのは姪っ子だった
ほうっておいて欲しかったが
役人よりマシ、と
お任せした
想い人が恋しかった

トンネルを抜けると
曇天だった
道端には蓮ではなく
紫陽花だ
ここも梅雨かと
密集した小花たちを覗き込む

塾講師
明太子売り
社協職員
鉄工員・・・

私の小人だった
私たちはそれぞれの制服を着て
せっせと働いていた
(働かされていた)
怒鳴られ
鞭打たれ
目に余る光景は
反吐を催す万華鏡だった

ふと
花の一つに病床の私を見つけた
痩せさらばえた私は
(自らそう望んでの身だった)
幾つものチューブに繋がれ
息も絶え絶えだった
だらしなく開いた口の端から
涎が垂れていたが
キスでもするように口を尖らせ
何かを訴えている様子
小花はさすがに小さくて
私一人だけだったが
明らかに
姪っ子への遺言らしかった
私は
トンネルの中で
その一句を失念していて
何を言わんとしているのか
恥ずかしさとともに
興味があった
せいぜい
想い人の名でも呼んでいるのに違いない
我ながら女々しい奴だと舌打ちしつつ
その小花に耳を寄せる
病人の弱々しい声がした

「ほ、ほ、ほん……」

思い出した
あの世での私は
物書きを志し
ブログだのツイートだの
愚にもつかぬ駄文を書き連ねていた
アルバイトの傍ら
原稿書きに孤軍奮闘するも
頼りの両親に相次ぎ先立たれると
誇りだけ高い無才の未来なんぞ
知れている
その後は記さずとも察しがつこう
不仲だった弟の娘が
飛行機で派遣されたのである

弟から兄の夢を聞かされていたかどうかは
さだかでない
が、いずれにしろ
急に、しかも「本」とだけ言われたところで
思いが伝わろうはずもなかった

私はトンネルに差しかかる前
宇宙ゴミとともに
言葉の破片がキラキラと闇に煌めくのを
夢のように眺めていたことを思い出した
その
削除したらしいツイート群に絡まって
私の
箸にも棒にもかからなかった文章が
蛇の抜け殻よろしく揺れ泳いでいるのにも
気づいた
そんなモヤシのごときエクリチュールが
ひとかどの読み物と認められようはずもない

私は必死にそれらを量産していたのだ
そして
それらを恥とも思わず
本にしてくれ、などと姪っ子に頼んでいた
それほど私は
「何者か」になりたかったのだ
名札が
履歴が
賞賛が
そして
とりわけ想い人の唇が
狂おしいほど欲しかったのだ

鼻腔が痺れてきた
目頭が熱い
雫が口を開けた病人に滴る

もういいだろう
いや
もういいことにする
だって
散歩にまで
名刺を持ち歩きたくない
もっとも
誇るべき肩書きはおろか
「居士」の名さえ
ロクに言えないのだから

これからは
短冊に恋歌でも詠みながら
過ごすことにする……










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