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【広島原爆の日に寄せて―山之口貘「鮪に鰯」をバラードに】For Hiroshima Day: Yamanokuchi Baku’s “Tuna and Sardine” as a Ballad

 山之口貘の、核兵器をめぐるシュールでシニカルな詩「鮪に鰯」を、バラードで朗唱した。 「鮪の刺身が食べたい」という、いかにも日常的な言葉から始まった詩は、やがて人間と鮪の境目を曖昧にし、地球を覆う戦争と核兵器の影へと広がっていく。  ユーモラスでありながら不穏。  素朴でありながら辛辣。  山之口貘の言葉には、声高に何かを訴えるのではなく、人間の欲望や矛盾を、少し離れた場所から静かに見つめるような冷徹さがある。その奇妙な詩世界を、今回は重く、どこか物悲しいバラードとして朗唱した。  映像では、鮪と爆弾が融合した異形の姿や、放射能によって崩れていく魚体などを用い、原詩に漂うグロテスクなユーモアと、核兵器の不条理を表現したつもり。  8月6日、広島原爆の日に寄せて公開。ご視聴いただければ幸いです。  I have turned Yamanokuchi Baku’s surreal and cynical poem about nuclear weapons, “Tuna and Sardine,” into a ballad.  The poem begins with an utterly ordinary remark: “I feel like having some tuna sashimi.” From there, however, the boundary between human beings and tuna gradually dissolves, and the poem expands toward the shadow cast over the earth by war and nuclear weapons.  Humorous, yet unsettling.  Simple, yet piercing.  Rather than raising its voice in protest, Baku’s poem seems to observe human desire and contradiction quietly, from a slight distance, with a certain cold clarity. I have tried to express that strange poetic world thro...

あいにくの雨???


久々の雨

久々の雨である。
このところ30度に迫る暑さ続きと長引く倦怠感で、まさに「五月病」といった体調だったが、朝から小糠雨が涼気を運んでくれていて、少々癒された。

「あいにくの雨」とお天気オネエさんがよく使う。
誰にとっての「あいにく」なのだろう?
以前にも書いたが
池澤夏樹が「自然は人間になどお構いなし」と言っていた。
まさに、そうだ。
勝手に晴れて、勝手に雨になる。
どうしようもない。
体調も人生も、だ。
思い通りになりはしない。
それが、いかにも「思い通りになります!」と謳った本が
書店の(とりわけ、ビジネス書コーナーに)平積みされている。
サラリーマンが立ち読みする。
アマゾンで一位になったりする。
著者や出版元もそれを狙う。
世は資本主義全盛ゆえ、仕方ない。
「◯◯ファースト」ゆえ、仕方ない。
マザー・テレサは神話になってしまった。。。

疲労の重石で
畳に寝転ぶ
息が上がって
全てがどうでもよくなる

「そんなの、どうでもいい」とよく言われたが
それは「あなたなんて、どうでもいい」という意味だ

しかし
そんな嫌味さえ
本当にどうでもよく感じる
それほど疲労は私に無慈悲だ
まさに
自然のようである
「あいにく」も
「さいわい」もありはしない
それが真理である
真理はこちらが黙って
やり過ごすより仕方ない
ブログは編集出来ても
ゲノム編集は万能なのか?
お天気操作もか?

窓の外は雨
網戸から涼しい微風が心地いい
エアコンのカビ臭さはない
日舞のお師匠は今日が八十の誕生日
私は何歳生きるだろうか
「疲れた」と言って
スイスのお医者に頼もうか
そんなカネがあるなら
MacBookを買い換える
そして
売れる本を書くのだ
ああ
偉そうなことを言って
結局、私も資本主義の申し子
(マルクスに笑われる?)

ナマコになりたい
雨の日です。。。

資本主義国家だから仕方ない。。。

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