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【知恵こそ武器】ロック歌舞伎「勧進帳」  Wisdom Is the True Weapon — Rock Kabuki “Kanjinchō”

  かつて、戦争資料館の館長から聞いたエピソード。招集された市民が軍服を手渡され、着てみると小さく、交換を申し出ると「お前が軍服に合わせろ!」と怒鳴られたそうだ。  役所、役人というのはそういうものだろう。「勧進帳」(能「安宅」)は、そんな「人を肩に嵌めようとする権力」の計略を知恵で乗り切ろうとする痛快劇である。しかし、その機転と裁量は、ただ一日ぼうっと過ごして育まれるものではなかろう。権力の前で怯え、平伏し、従ってしまうのが常。だからこそ、弁慶のような智勇を兼ね備えた人物に、時代を超えた憧れを抱くのかも知れない。現代で言えば、大谷翔平だろうか。。。   「弁天小僧 菊之助」  に続くロック歌舞伎の第二弾。「大恩教主の秋の月」の季節ではないが、選挙が近いともあって、制作した「勧進帳」のように、投票用紙に自分の意見を書けば無効になる。「指定の名を」というのが権力側の意向。そこに民意が反映されるのか、、、いつもの疑問である。  Once, I heard an episode from the director of a war museum. Citizens who had been drafted were handed military uniforms. When one man tried his on, it was too small. He asked for a different size—and was shouted at: “Adjust yourself to the uniform!”  That, in essence, is how bureaucracies and officials tend to work.  Kanjinchō (from the Noh play Ataka ) is a rousing tale about overcoming exactly this kind of power—power that tries to force people to fit its mold—through wit and ingenuity. But such presence of mind and judgment are not cultivated by drifting through one’...

「伝える&聞く」のレッスン (NHK健康ライフ 「ストレス対策」その4 心療内科医・熊野宏昭教授)

今朝の月、松の向こうに煌々とーー。

まるで「金色夜叉」ではないか!
貫一お宮のすれ違いーーお互い、もっと、コミュニケーションを図っていたら、巧く行ってたかも知れないが、運命は如何ともしがたい。。。

さて、「ストレス対策」も佳境に入ってきた。第四弾。本日は「人間関係によるストレス軽減法」を熊野先生にご助言賜る。(もちろん、ラジオで)

ストレスの原因は様々だが、やはり多いのは「人間関係」。それは、言いたいことが言えず、つい無理をしてストレスを溜め込んでしまう。そこで、言いたいことを言えるような練習をする。

鏡の自分を相手に」

夜、寝る前に「ああ、あの時、こう言っておけばよかった」「本当はこれが言いたかったのに」。その言葉を思い出し、鏡に向かう。そこに映った自分の顔を相手と想定し、言いたかったことを3回、繰り返し言うーー。

例)「すみません。今日は大切な予定があり残業は出来ません。明日早く来てやりますので、今日は失礼させて頂きます」

アナウンサーが実際に言ってたが、棒読みだった(笑)。が、それに気づいて、二度目は感情を入れる。表情も変える、、、などと自分なりに改善させて稽古する。そして、実際に言ってみる。すると、相手の反応が思っていたように怒られなかったり、予想外な場合もある。この稽古と実践の繰り返しで、徐々に言いたいことが言えるようになる、と。
(妄想家の私は、これこそAI、もしくはアンドロイドを相手にしたら良さそうに思った次第)

「聞き上手に」

言う稽古の次は、相手の話を聞くこと、と。人はとかく相手の話を聞いているようで、あまり聞いていない。と言うのも、相手が話している間に、「どう言い返そうか」「早く終って、自分のことを言いたい」・・・と次なる準備体勢に入っている。これだと円滑な対人関係は望めない。(耳が痛い!)。相手も、自分の話をちゃんと聞いてもらえたら嬉しいし、それで、こちらの話もちゃんと聞いてくれる。ストレスフルな関係でなくなる。

心療内科でグループワークを行なっているそうだ。二人一組で互いに5分間話してもらう。その間、相手は意見したりしない。そこをこらえて、ひたすら聞き役に撤する。こうしたことを日常でも心がけていると、自然に聞き上手に近く。

言い訳(「作文」ではなく「作品」を)

「俺が俺が」の私にとっては、身につまされる話だ。
言い訳のようだが、私の場合、不器用さを武器に健筆を振るってる節がなきにしもあらず。
人それぞれじゃないの? でもね。創作も、やっぱり「聞き上手」「見上手」の人が天才的仕事を残せます。つまり、「自分」という「環境」・「宇宙」に耳を澄ますこと。降りてくるものを出すのである。左脳のあれこれ考えてちゃ、学校の宿題になってしまう。開高健が言ってた「作文」である。そうでなく「作品」を書きなさい、と。
ああ、これも耳が痛い。誇り高き中途半端には(とほほ。。。)








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