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【二百年前の強き日本で候】本日2月18日「異国船打払令」発令日(文政八年 1825年)/What Guts! “The Edict to Repel Foreign Ships”(1825)

 ちょうど二百年前の今日、1825年の2月18日、 文政の「異国船打払令」、いわゆる「無二念打払令」が発令された。 その強きな姿勢に、初めて正式文書を読んだ私はいささか驚いたと同時に、逞しさを覚えた。 現代日本と「何たる違いだ!」と。  尤も、この後から情勢は急変、開国へと向かうわけだが、「いうべきことは言う」といった当時の幕府のポリシーと心意気が頼もしくうかがえる。まさに、武士道である。  ああ、しかし、今やそれも遠い過去となってしまったのか。。。  一縷の希望?を託したシャッフル・ビート(朗読)をお楽しみください。 Exactly two hundred years ago today, on February 18, 1825, the Edict to Repel Foreign Ships, also known as the No-Second-Thoughts Repel Order, was issued during the Bunsei era. When I read the official document for the first time, I was both surprised by its resolute stance and impressed by its boldness. I couldn’t help but think, "How different this is from Japan today!" Of course, the situation changed rapidly after this, eventually leading to the opening of the country. However, the shogunate’s policy and spirit at that time — one of “saying what must be said” — left me feeling reassured and inspired. This was truly the essence of Bushido. And yet... has all of that become nothing more than a distant memory? Please...

書くということは、命の絶対的肯定(小野正嗣)

買いているとき、何か創っているときが、苦しんのだけど、「生きている」との実感がする。

逆に、何も書いてないとき、何も生み出してないときというのは、楽なようで、つらい。鬱々、苛々してしまう。。。



作家・小野正嗣の「歓待する文学」最終回。テキストは、開講前に書かれたものだから、その最終回、読者からのハガキに答える形での内容は、テキストに記載がないものが多い。その重要な部分、心に残った部分をご紹介ーー。

「つらいとき、苦しいときに本を読む、あるいは言葉を綴る、文章を書く。そのときに、皆さんは生の側に踏みとどまっていると思う」

「困難に遭ったとき、本を読む、言葉を書くというのは救いを求めているんだと思う。他者に呼びかけている。そこにはまだ、人間を信じる気持ちがあると思う」


 

彼はその前に、『変身』で有名なカフカも愛読していたというスイスの散文家ローヴェルト・バルザーについて、それを評したベンヤミンの言葉を通して教えてくれた。


「ペンを手に取るや否や、彼(ヴァルザー)は自暴自棄のとりこになる。彼にはすべてが失われてしまったように思われる。そこで言葉の洪水が堰を切って流れ出すのだが、そのどの文章も、その前の文章を忘れさせるという役目しか持っていないののだ」(『ベンヤミン・コレクション2』ちくま学芸文庫)

 ヴァルザーは、どうやら、晩年は精神療養所で過ごしたらしい。そんな半生の彼にとっても、やはり「書くこと」が生に踏みとどまる道だったのかも、と早速、ヴァルザーの傑作と言われる散文小説「散歩」を読み始めた。(『ローベルト・ヴァルザー作品集 4』鳥影社)

 とにかく、主人公(彼)が街に出て色んな人物に出くわすのだが、これといた筋があるわけでもないのに、妙に先が気になってしまう。先のカフカやヘルマン・ヘッセを始め、名だたる作家に影響を与えたらしい不遇の文豪の言葉は、しかし、場所も時代も離れた島国の、こちらもジリ貧詩人(と自分で言ってどうする!)の胸に確実に響いている。これ、まさに小野正嗣がいったとおりだ。


「書くということは、同時代に生きる人たちに向けてだけではなく、既に亡くなってしまった人たち、そして、これから生まれてくるという意味で、まだ存在していない人たちに向けられた行為でもあると思う」ーー。





詩(まがい)を書き、小説を書き、ときどき朗読する。それで「生」に踏みとどまっている。振り返ってみれば、それだけが一番長く続けられている。
ヘルダーリン、カフカの横にヴァルザーも加わって、私の書棚はヤバい天才たちで春たけなわなのだ!


(制作中の朗読画像)










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