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Dance Remix “The Ballad of Persse O’Reilly” be selected for "Bloomsday Film Festival"! ダンス・リミックス「パース・オライリーのバラード」がブルームズデイ・フィルム・フェスティバルに入選!

A film I created to celebrate the 143rd birthday of James Joyce has been officially selected. I like to think the genius himself is dancing in heaven🕺  Dance Remix “The Ballad of Persse O’Reilly” Lyrics by James Joyce (from “Finnegans Wake”) Read & Music by POETAQ Have you heard of one Humpty Dumpty How he fell with a roll and a rumble And curled up like Lord Olofa Crumple By the butt of the Magazine Wall Of the Magazine Wall Hump, helmet and all? He was one time our King of the Castle Now he’s kicked about like a rotten old parsnip And from Green street he’ll be sent by order of His Worship  To the penal jail of Mountjoy To the jail of Mountjoy! Jail him and joy He was fafafather of all schemes for to bother us Slow coaches and immaculate contraceptives for the populace Mare’s milk for the sick, seven dry Sundays a week Openair love and religion’s reform And religious reform Hideous in form Arrah, why, says you, couldn’t he manage it? I’ll go bail, my fine dairyman darling Li...

書くということは、命の絶対的肯定(小野正嗣)

買いているとき、何か創っているときが、苦しんのだけど、「生きている」との実感がする。

逆に、何も書いてないとき、何も生み出してないときというのは、楽なようで、つらい。鬱々、苛々してしまう。。。



作家・小野正嗣の「歓待する文学」最終回。テキストは、開講前に書かれたものだから、その最終回、読者からのハガキに答える形での内容は、テキストに記載がないものが多い。その重要な部分、心に残った部分をご紹介ーー。

「つらいとき、苦しいときに本を読む、あるいは言葉を綴る、文章を書く。そのときに、皆さんは生の側に踏みとどまっていると思う」

「困難に遭ったとき、本を読む、言葉を書くというのは救いを求めているんだと思う。他者に呼びかけている。そこにはまだ、人間を信じる気持ちがあると思う」


 

彼はその前に、『変身』で有名なカフカも愛読していたというスイスの散文家ローヴェルト・バルザーについて、それを評したベンヤミンの言葉を通して教えてくれた。


「ペンを手に取るや否や、彼(ヴァルザー)は自暴自棄のとりこになる。彼にはすべてが失われてしまったように思われる。そこで言葉の洪水が堰を切って流れ出すのだが、そのどの文章も、その前の文章を忘れさせるという役目しか持っていないののだ」(『ベンヤミン・コレクション2』ちくま学芸文庫)

 ヴァルザーは、どうやら、晩年は精神療養所で過ごしたらしい。そんな半生の彼にとっても、やはり「書くこと」が生に踏みとどまる道だったのかも、と早速、ヴァルザーの傑作と言われる散文小説「散歩」を読み始めた。(『ローベルト・ヴァルザー作品集 4』鳥影社)

 とにかく、主人公(彼)が街に出て色んな人物に出くわすのだが、これといた筋があるわけでもないのに、妙に先が気になってしまう。先のカフカやヘルマン・ヘッセを始め、名だたる作家に影響を与えたらしい不遇の文豪の言葉は、しかし、場所も時代も離れた島国の、こちらもジリ貧詩人(と自分で言ってどうする!)の胸に確実に響いている。これ、まさに小野正嗣がいったとおりだ。


「書くということは、同時代に生きる人たちに向けてだけではなく、既に亡くなってしまった人たち、そして、これから生まれてくるという意味で、まだ存在していない人たちに向けられた行為でもあると思う」ーー。





詩(まがい)を書き、小説を書き、ときどき朗読する。それで「生」に踏みとどまっている。振り返ってみれば、それだけが一番長く続けられている。
ヘルダーリン、カフカの横にヴァルザーも加わって、私の書棚はヤバい天才たちで春たけなわなのだ!


(制作中の朗読画像)










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