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【狂言小唄】『笑いの呪文』(超絶誤訳・音声変換)原作:ヴェリミール・フレーブニコフ

  我が国は西側陣営なので、ロシアの情報はなかなか入ってこない。いや、「敵側」のフィルターがかったものばかり、という印象だ。大昔、成人祝いに『ドストエフスキー全集』を古書で買おうとしたほどのロシア文学ファンである小生は、そこで、ロシア詩でも朗読してみるか、と調べるなかで出会ったのがヴェリミール・フレーブニコフの『笑いの呪文』だった。  しかし、学生時代、せいぜいドイツ語を第二外国語として学んだだけの小生には、ロシア語の音読などハードが高過ぎる。それでもアプリ再生で練習を重ねるうちに、「超絶誤訳・音声変換」で読むことを思い付いた。難しいロシア語発音を日本語に当てて、忠実な翻訳ではない、全く別の詩作を試みることにしたのである。折りしもイラン戦争中で、そんな情勢にも触発を受けることとなった。  狂言風に詠んでみた。(謳ってみた)。もともと「笑いの呪文」だけに、狂言が合っていると思った。動画は映像を添えられるので、言葉と絵のコラボが互いの「語られない部分」を補ってくれる。そのギャップが際立つものが出来たと思う。  As our country belongs to the Western bloc, information from Russia is not easily accessible. Or rather, much of what we receive feels filtered through the lens of an “enemy.” As someone who has long been fond of Russian literature—so much so that I once considered buying a second-hand complete works of Fyodor Dostoevsky as a coming-of-age gift—I found myself wondering if I might try reading Russian poetry aloud. It was in that process that I encountered Velimir Khlebnikov’s "Incantation by Laughter."  However, having studie...

ツイート疲れ。。。
















二つが並んでいたので、思わず笑ってしまった朝。そう言えば、私も丸刈りなのだ。しかもみずからバリカンで。

ツイートを始めてひと月も経っていないが、こんなにSNSに感情を揺さぶられるとは、予想は付いていたものの、「こりゃ、タイヘンな世界に飛び込んだものだ」と、ネットとは無縁で生きていられたテレビ漬け老父が羨ましく感じる今日この頃。。。

実は、愛聴しているラジオ局に早速だがツイート。フォローまでした。かつてメールを読んでくれたパーソナリティーが担当だからだ。
番組の公式ツイッター。オンエアー中にも紹介されたりするから、パーソナリティーご本人も目を通しておられるだろう。が、ご本人自身がその呟きに「いいね」を押す、もしくはフォローをし返すことは、本番中でもあり、ちょっと難しいのでは。だから、「いいね」を押すのは、恐らくスタッフなのだろう。その「いいね」が最初の一週間くらいは押されていたが、ある日からパッタリ無反応になってしまった。その公式タイムラインでは、他のリスナーに対しては「いいね」を押しているにもかかわらず。。。

初めて「いいね」が付きました、とメッセージが来た時は嬉しいものだった。「ああ、読んでくれてるんだな」と。が、それが4、5、6回と続くうち、「これって、とにかく届いたツイートに機械的に押してるんじゃないか?」といった疑念が私のなかに湧いた。タイムラインを見ると、確かにリスナーの大半の(というか、ほとんどの?)ツイートに「いいね」が押されている。それで、やや興醒めしてしまった。

が、である。今度は、パタリと押されなくなると、「な、な、なぜだ!」と憤懣が。ゲンキンなものである。確か、くだらんダジャレみたいなことを書いたからかな。それとも、スタッフが私のツイートのホーム画面を見、「なによ、こいつ。他の局のほうをたくさんツイートしてるじゃん!」と怒りを覚えたか。とにかく、様々な憶測が胸に渦巻いて、せっかくのお気に入り番組も、「どうせ、僕なんぞ、どうでもいい存在なんだ」と、浮気心が強まって。。。

待て待て。そもそも、私がツイートしたのは、別に「いいね」が欲しいわけではなかった。同じ番組のリスナー同士、なんらかの情報共有が出来るんじゃないか。出不精の私が知らなかったイベントやスポットなども知る機会があるのでは、といった気持ちからだった。そこへ、思わず「いいね」が付いて、ついつい調子に乗って、チャックする側にとっては「まただよ」みたいな印象のツイートを送ることとなり、フラれた。それなら、いっそ他局のように最初から無視してくれていたらよかったろうに。。。

大の白髪でさえ、こんな猜疑心に落ち込む。これが10代の生徒たちとなると、「教室」だけが全世界だけに、地獄に違いない。いや。それは彼・彼女たちだけの話でなく、大人の世界も同じこと。痛ましい事件も後を絶たない。難しい。難しい。気を遣う。親近感を持てば持つほど、「無視」が刃(やいば)に感じる。いっそ、他人のままのほうがキラクでハッピーだった、と。。。

そこで思い直したのだ。さっぱり行こう、と。執着は苦しい。冒頭の「丸刈り」のごとく、余計な感情に振り回されるのは、「損」である。先週の「ストレス対策」を思い出すがいい。余計な憶測で自分の首を締めている。本来「いいね」は相手がホントに「いいね」と思ったからこそのことで、それが付かないということは、「よくない」わけだ。いやいや。逆に「いいね」が多いなか、少ない「無視」に選ばれたわけだから、スゴい!のだ。(ちょっと、無理があるけどね。。。)

再び、昨日ご紹介した夏野雨第一詩集『明け方の狙撃手』の一句を挙げる。

わたしはあなたになにも期待していないから、自由なんだねーー

前にも書いた気がするが、確かサルトルも「地獄とは人間(関係)」と言った。「自由」
。それは孤独だが、それこそ存在の本質なのだろう。私は忘れてしまってる。カウントダウンのこと。

今日という日は、残りの人生の最初の日ーー。

夕方から朗読だ(福岡ポエトリー)。そこには血がかよい、肉を纏った生身の人間たちがつどい来る。「いいね」も「よくね」も顔が即、語ってる。それだけで充分だろう?




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